大日如来

 

仏教がアジア諸国に広がり、釈迦如来像が造り始められた頃には大乗仏教の時代が始まっていた。

大乗仏教は、自己の覚りを求めるだけでなく、他人をも覚りの道に導かねばならない。所謂「上求菩提、下化衆生(じょうぐぼだい、げげしゅじょう)」である(自利・利他)。下化衆生を行うためには、様々な仏が出現することになってくる。

釈迦の後、この世に生れ衆生を教化する未来仏の弥勒菩薩、死に対し極楽浄土へと來迎する阿弥陀如来、病気から守る力を持つ薬師如来など様々な仏が出現してきた。それらは千仏、三千仏へと広がっていく。

無数の仏が出現し、釈迦と同じように菩提樹下で説法していると考えると、それらの仏を統一する思想が出てきた。その根源の釈迦如来と考えられたのが、廬舎那仏である。

隋って廬舎那仏が三千大世界の教主で、全宇宙を統治する仏である。

釈迦は廬舎那仏の分身であり、その分身があらゆる世界に出現し、説法すると考えられた。この形を表したのが、東大寺大仏殿の廬舎那仏、唐招提寺金堂の本尊像である。「大日経」「金剛頂経」に説いている大日如来は、この思想を展開して成立したものである。

大日如来の梵名を摩訶毘廬舎那仏(まかびるしゃなぶつ)というが、これは大毘廬遮那の意味である。

「大日経」と「金剛頂経」は、同じ場所、同じ人によって書かれたものではないが、中心の本尊を大日如来としているのは同じである。この二つの経典を一つのものとして、両部の経典として教義を展開していったのが、日本の真言密教である。

(廬舎那仏、毘廬舎那仏と使っているが、当て字なので同じ)

 

毘廬舎那仏を更に展開して、密教で最高至上の絶対的存在としたもので、大光明遍照。その智慧の光明は、昼夜の別のある日の神の威力を遥かに上まわるところから、その意をとって大日如来という。

真言密教の両部の大経、大毘廬舎那仏成仏神変加持経(大日経)と金剛頂経の教主であり、胎蔵界・金剛界両曼荼羅の主尊である。

像は、他の如来とちがい宝冠を戴き紺髪は肩に垂れる。そして瓔珞(ようらく)、環釧(かんせん)、天衣(てんね)をつけた菩薩の姿をとる。

金剛界大日如来は、智拳印(胸の前に挙げてのばした左拳の人差指を右の拳を持って握る)、胎蔵界大日如来は、法界定印(結跏趺座)の膝の上に左掌を仰げて置き、その上に右掌を重ねて(二大指の先を合わせささえる)を結ぶ。なお、左右拳反対の智拳印、左右掌上下逆の法界定印を結ぶ大日も稀にある。胎蔵界大日如来の法界定印は、覚りの境地を象徴するもので、いかなるものにも犯されない覚りの最高の境地を示し、理の世界を表す印相である。

金剛界の智拳印は、考える場合の一動作で、考えを決定し行動に移る直前の動作である。「金剛頂経」の智の世界・働きの世界を表す印相である。