地蔵菩薩
地蔵菩薩は釈迦入滅の後、弥勒仏が五十六億七千万年の後に出世するまでの中間期間、即ち無仏の時に、この五濁の世に出現し、六道の衆生を救済する菩薩であるといわれ、末法思想が盛んになるにつれて広く信仰されるに至った。
わが国では今昔物語の成立(平安時代末期)前後から殊の外に信仰され、近世になると民間信仰と結ばれて地蔵講、地蔵盆などのような年中行事の一つともなり、現在に至っている。
われわれにもっとも親しい姿で現される比丘形像は中国において特殊信仰をもたれはじめた際に新しく作られたものと考えられる。
像は天冠を頂き袈裟を着け、左手に蓮華、右手に宝珠を持っているもの、坊主頭で、左手に宝珠、右手に錫杖をとり青蓮華に安住するものなどである。
地蔵尊を六道に配して六地蔵として町の入口や街道筋に建てて信仰することが江戸時代に流行した。
空也上人の賽の河原地蔵和讃
帰命頂礼地蔵尊、此れは此の世のことならず、
死出の山路裾野なる、西の河原の物語、聞くにつけても哀れなり。
哀れなるかな幼児(おさなご)が、立ちまわるにも拝むにも、
唯父恋し母恋し、恋し恋しと泣く声は、此の世の声と事変わり、
悲しさ哀れさ骨も身も、砕けて通るばかりなり。
残せし着物を見ては泣き、手遊び見ては思い出し、
たっしゃな子供を見るにつけ。なぜに我が子は死んだかと。
嘆き悲しむ哀れさよ。
子は河原にてこの苦労、一重積んでは父の為、
二重積んでは母様と、さも幼(いとげ)なる手を合わし、
礼拝回向(えこう)ぞしおらしや、三重積んでは古里の、
兄弟我が身と回向する。
━鬼登場━
やい、子供、汝ら何をする、娑婆と思いて甘えるか、
汝らの父母は、供養はするけれど、ただ明け暮れに嘆く許りなり、
親の嘆きは汝らが、苦患を受ける種となる。
汝ら罪なく思うかや、ははの乳房が出ない時、
お前は泣く泣く無理を云い、父が抱こうとした時に、
母の胸を離れずに、ただ抱かれているばかり。
峰の嵐を吹く時は、父が呼びしと起き上がり、
水の流れを聞く時は、母が呼ぶかと走せ下り、
辺りを見れど母もなし、父を呼べども父も来ず、
知らぬが死出の山路なり、此の苦しみを如何ににせん、
こけつ転びつ憧れて、逢いたや見たや恋しやと、
もだえ嘆くぞ哀れなり。
━地蔵登場━
汝ら命短くして、冥土の旅に来つれども
今後は我を、冥土の父母とせよ。−幼児を裳の内に入れて抱く。