壽福酒造地図

 球磨焼酎は、国際的に通用する酒類の「地理的表示を保護する法律」により、日本で初めて「球磨」のほか二地域の焼酎が産地指定となったことで、世界ブランドとなった。
  人吉球磨地方には、28軒の蔵元があり、それぞれが競い合い約140種の銘柄を造っている。

 球磨焼酎の蒸留方法には、常圧と減圧の二種類があるが、ここ壽福酒造は昔ながらの常圧製法だけを守りぬいた、ただ一軒の酒蔵である。
 
 球磨焼酎は、球磨地方の豊富な清水と豊かな土壌で育まれた米を原料としている。
 
 球磨焼酎が、米を原料としている理由の一つとして、そもそも米が豊富であった。人吉盆地の奥には、奥座敷や隠れ座敷のような小盆地がいくつかあったが、土地関係に精通していた幕府も、相良氏が支配する人吉盆地の奥田地までは知ることができなかった。相良氏は、わずか二万二千石にすぎなかったが内福であった。
 第一次仕込みのために、
麹米(白麹)に球磨の水と酵母が甕に入れられる。
土中に埋まっている甕は、外気の影響を少なくするが、
伝統を守る心意気を感じる。
 第二次仕込みのために、蒸し米と水を加えて寝かせる。
甕の中で、麹菌と酵母の働きにより、米の澱粉質が糖化され、
醗酵する。
 常圧製法により造られた焼酎は、
年数を経る程熟成されうまみが増す。
 静かに、ただ、ひたすら時だけを待っている瓶に、
いとおしさすら感じられる。
壽福酒造は、明治23年の創業。  人吉城址から徒歩10分。
球磨川の支流胸川沿いに建つ。
相良神社  人吉城は「繊月城(せんげつ)」「三日月城」ともよばれる。
 人吉球磨地方を統治した相良氏の居城。
 本格的な築城は戦国時代で、第十八代相良義陽(よしひ)公のときから第十九代忠房(ただふさ)公、第二十代長毎(ながつね)公を経て
第二十一代頼寛(よりひろ)公の寛永十六年(1639)に完了した。
 相良氏の祖は遠州(静岡県)相良庄に住んでいたが、頼朝の鎌倉幕府から任命されて、相良三郎長瀬という者が、
建久九年肥後國球磨郡人吉ノ庄をもらって下向し明治維新までの六百七十年の家系を続けた。
 御館御門橋(みたちごもんばし)、多脚橋としては熊本県で一番古い。
 球磨川を天然の外堀とした中世の山城の形態。水の手橋 付近の石垣の頂部に、
突き出すように切り石をのせる「はねだし」(武者返し)の建築様式は、全国的にも珍しいもので、國指定史跡に指定されている。
 4代目杜氏壽福絹子さん。
25歳の若さで杜氏となり、現在も、手作りにこだわり、常圧蒸留方式だけで焼酎を作る。
 酒のことなら何でも知っている生き字引。TV・雑誌・講演に活躍中の絹子さんと記念撮影。
 パソコンにも精通している、美しい娘さんにも加わって頂きました。