不動堂村屯所跡地図

 リーガロイヤルホテル京都あたりといわれている。
新撰組が屯所を西本願寺から不動堂村へ移転したのは、近藤勇らが幕府直参になった5日後の慶応3年(1867)6月15日であった。移転に際し、土方歳三の指示で吉村寛一郎が西本願寺と交渉の末、建築費並びに諸経費を西本願寺が負担することとなった。
 屯所の広さは1万u。表門、高塀、玄関、長屋、使者の間、近藤、土方ら幹部の居間、平隊士の部屋、客間、馬屋、物見中間と小者の部屋、大風呂は30人が一度に入れた。大名屋敷と比べても遜色のない構えだった。12月14日、伏見奉行所へ引き払うまで6ヶ月間、屯所として使用した。