三姓穴

 三姓穴は済州道の人達の伝説的な発祥地である。三神人(高乙那コウラ、良乙那ヤンウラ、夫乙那プウラ)がここから生まれ、狩猟生活を行っていた時、
五穀の種子を持ってきた碧浪国の三王女を迎え入れ、その時から農業生活が始まって、ついに耽羅王国(済州の古代名称・韓国本土と異なり7世紀までは耽羅国として歩んできた独立国)
へと発展していったとされている。
 現在島にいる子孫高氏、梁(良を梁に改め)氏、夫氏合わせて島内人口の半分を占めている。
 朝鮮時代の中宗21年(1526)牧使李寿童が初めて標壇と紅門を立てて、垣を造り、春秋奉祭を行い初めてから、
歴代の牧使(道知事)によって聖域化の事業が行なわれ、現在も毎年春秋祭および乾始大祭が行なわれている。
 柵で囲われた中央に窪みがみられる。

展示館
 偶石木・武石木・首長等と呼ばれるこの石像(トルハルバン)は城門の入口に建てられていたものである。
現在は済州大学・三姓穴等済州市内に21基その他を含め合計45基がある。
 石像の形はだいたい山高帽子に大きな目、大きな団子鼻、口を真一文字に結んでおり、
両手は腹の上と下に威厳を持って重ねている。ドリハルバンの大きさは平均身長が済州187cm、
城邑141cm、大静134cmで製作年代は英?祖30年(1754)頃と推定される。
 この石像は城門や村の入口に建てられて、厳しい自然から守る守護神的・呪術的・境界慄的な機能を果たしたものである。
また、村ごと異なる石像が置かれていたといわれる。