城邑民俗村
1419年に城ができて以来、500年間も栄えた村。 約300軒が残っており、現在も実際に人が生活している。 |
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門の形は石柱が2本立ち、その石柱に穴が3個あいている。 石柱の穴に棒を差し入れる事で門としての機能が成り立つ。 他人が入る意思があれば簡単に中に入れる事が出来るので、現在の門の感覚と随分異なる。 この門の石柱の片側には3本の棒が常に入れてあるが、もう片方の穴に何本入れるか、 或いは入れないかで幾通りかの組み合わせが出来るが、一定のルールがある。 今家には子供しかいません。 今家には居ませんが、近所に行っています。 留守です。 家にいますので、お入り下さい。 未亡人となると、穴を一つ増やし4個の穴にする。未亡人ですので、何かありましたら助けて下さい。 |
土地全体が溶岩でできているので、少し掘ると溶岩が出てくる。この上に土が乗った状態となっているので、 土の上で飛び跳ねるとクッションがあり、軽い音がする。済州島全体が岩石で成り立っているので、土壌は浸透性が強いために水を溜める事が出来ない。 従ってこの島の水田は耕作面積の数%にすぎない。 |
人間の食料確保が精一杯、豚にまで飼料が回らなかった時代のこと。黒豚には人糞を餌としていた。 棒が置いてあるが、豚を追い払うためのもので、男性の時はこの棒を使いで追い払う。待ちけれない豚は、餌と間違い男性の一物を食べてしまうからだ。 また、下痢をしている時にも追い払い豚の汚れを防ぐ。現在はこの様な飼育はしていないので安心して豚を食べて下さい。 |
水汲みは子供、妻の仕事で主人にはさせない。 |
雨水をかめに溜める。中に蛙を一匹入れておく。虫を食べたり水を攪はんするので腐敗を防ぐことになる。 2匹以上入れると子供が増えるので1匹に限られている。この蛙が死ぬと水は入れ替えられる。 |
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馬の骨を曳き粉にしてのむ。カルシウムの補給にすぐれている。 | ||
五味子(ごみし)の製造。素材は村の人に限られ採取することができる。 |
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