三条大橋地図

 豊臣秀吉が、四国と九州を屈伏させたあと、軍を東にむけ、小田原の北条氏を征伐する戦略をかためると、東海道の起点である三条大橋を本格建築の永久橋とする政策を決定した。
 天正17年(1589)正月、秀吉は増田長盛に架橋を命じ、翌年正月に完成した。
 3月1日、秀吉は大軍をひきいて三条大橋をわたって小田原に出陣し、北条氏を屈伏させた。
 東海道の西の出発点。京の東の玄関口であった。
 石柱は63本・101mの長さ、幅7mであった。欄干の擬宝珠にそれらを刻ませ、現在の橋上にもその姿(14個)を留めている。
 明治の中頃には、橋下で「納涼床」が行われていた。現在は鴨東道路の開通に伴い74mになっている。
 寛政の三奇人の一人、高山彦九郎が、荒廃した御所を拝している銅像、東海道五十三次の弥次さん喜多さんの銅像がある。