トロイ 地図

チャナッカレにある
複製トロイの木馬。
1975年に造られた。
トロイ遺跡の断面図 トロイ遺跡の平面図
トロイ第1市 B.C 3000〜2500         トロイ第6市 B.C 1700〜1250
トロイ第2市 B.C 2500〜2300         トロイ第7市 B.C 1250〜1180
トロイ第3市〜第5市 B.C2300〜1700     トロイ第8市・9市 B.C 1000〜A.D 800
 5000年前のトロイは海に面していた。川に泥が堆積して埋め立てられ、海が遠のいた。
古代都市は埋まり、再建されてまた埋まり、9市の古代都市が重なった。
アテナ神殿 イデオン(音楽堂) 城壁 議事堂 第6市 第8・9・10市 第4市 第3市 第1市 第2市 岩盤 海抜16m 海抜36.5m
オデオン 9層の市が重なる遺跡 聖域
 オデオン 音楽や劇、会議が行われていた小劇場。ローマ時代に建てられた(第9市紀元前350〜400)
木製の屋根が付いていたという。
 聖域 生贄の儀式に使われた場所。井戸と祭壇ががある。井戸は生贄の血をためるためのものと、流すためのものがある。
第8〜9市時代(紀元前900〜350)のもので、当時はトロイ初めのギリシア都市であった。
 トロイは、ギリシャの有名な英雄叙事詩ホメロスのイリオスに語られているトロイ戦争の舞台。
その伝説の木馬は遺跡の入り口に立っている。
 プリアム王、ヘクトル、パリス、そして美しいヘレンの物語によって永遠に名を留める存在となった。
  トロイ戦争はトロイの王子がギリシャの王メネラウスの美しい妻ヘレネを誘惑したことが原因で起こったとされる。
難攻不落のトロイはギリシャ軍の攻撃に耐え抜き、戦争は10年続いた。
この戦争に決着をつけたのが、ギリシャ軍が大きな木馬の中に兵士を隠し、敵の城内に入つたことだったる。
 ギリシャ軍が海岸に木馬を置いて撤退した後に、船を隠していた場所はエーゲ海トルコ領のボズジャ島といわれる。
 10年にも及んだトロイ戦争は、黒海を抜けるダーダネルス海峡を抑えるために、ギリシャ軍はトロイが必要であった。
ヘレネをめぐる戦いとはいえず、戦略上どうしても必要な場所であった。
 シュリーマンによって、1870年から本格的な発掘調査を行い、地層の違いから、トロイが紀元前3000年から何世紀
にも渡って何回か都市が建設されたことを立証した。
 1882年からドイツの考古学者ヴィルヘルム・デルプフェルトも加わってさらに発掘が進み、
城壁、家屋の基礎、寺院、劇場の遺跡を含む9層の異なる時代の遺跡が発掘された。