第101代 称光天皇(しょうこう)地図


()小松(こまつ)天皇(第一皇子)
光範門院藤原資子(しし)(日野(すけ)(くに)の娘)
誕生 …1401年(応永8年)3.29
御名・異称 ()(ひと)・大宝寿
皇后 … ―――  
太子
… ――― 
即位 …1412年(応永19年)8.29
在位年数 …16年
崩御 …1428年(正長元年)7.20(年齢28才)
皇居 …平安宮    年号…(おう)(えい)(しゅう)(ちょう)
日野氏を挟んで足利氏と天皇家は密接な関係をもった。天皇の外祖父である日野資国の妹業子は足利義満の正室となり、同じく資国の姪にあたる康子は義満の側室となっていた。また、康子の妹栄子は足利義持の正室となった。康子は後小松天皇の准母であり、栄子は称光天皇の准母であった。
天皇は生来病弱であったこともあり、後小松上皇の院政の陰に隠れて治世中目立った事績はない。南北朝の皇位継承問題が再燃し、朝廷内外で起こった皇位継承問題、晩年はとりわけ弟の死去や父との反目によって精神の安定を著しく欠き、二人の内親王をもうけたともいわれるが、地味で薄幸な生涯を終えた。
皇子に恵まれなかったことから、(さだ)(ふさ)親王(後崇光院)の皇子彦仁王を、後小松上皇が猶子に迎えて、のちに後花園天皇として即位させた。
陵墓名 (ふか)(くさ)(きたの)(みささぎ)    法華堂   後深草天皇以下十三方合葬
所在地 京都市伏見区深草坊町
泉涌寺に移して火葬にされ、泉涌寺の雲龍院に奉蔵された。さらに深草法華堂に納骨された。12帝陵の一つである。