第86代 後堀河天皇(ごほりかわ)地図

(もり)(さだ)親王(後高倉太上天皇・後鳥羽天皇の兄・第三皇子)
藤原陳子(ちんし)(藤原基家(もといえ)の娘)
誕生 …1212年((けん)(りゃく)2年)2.18
御名・異称 茂仁(ユタヒト)
中宮 近衛長子、九条?子
立太子 … ――――
即位 …1221年(承久3年)7.
在位年数 …11年
崩御 …1234年(天福2年)(年齢23才)
皇居 平安宮
年号 (じょう)(きゅう)(じょう)(おう)(げん)(にん)()(ろく)(あん)(てい)(かん)()(じょう)(えい)
父守貞親王は、安徳天皇の都落ちの後、出家して持明院宮行助入道親王と名乗った。 幕府はこの行助親王に院政を敷くことを認めるとともに、太上天皇の尊号を贈り、後高倉院と称された。
皇位につかず院政を行ったのは後高倉院が初めてである。
幕府は仲恭天皇を廃帝して10才の茂仁親王を皇位につけた。
天皇の治世中はもっぱら幕府による承久の乱の戦後処理が進められ、新たに守護・新地頭の所務が定められた。
武家政治の基準を定めたいわゆる貞永式目を制定した。
「明月記」によると、「寛宏仁慈にして、喜怒を表さず、御膳は日に二食とし、酒は飲まず」という日々を送られている。
生来病弱であった天皇は秀仁親王に譲位して院政を敷いた。
陵墓名 (かん)(おん)(じの)(みささぎ)   円墳
所在地 京都市東山区今熊野泉山町泉涌寺内
観音寺は弘仁年間(810〜823)、空海の創建で広大であったが、1468念(応仁2年)泉涌寺とともに兵火で焼け、小さく再建された。現在の今熊野観音である。
西面する円墳で丘上に立地する。