第88代 後嵯峨天皇(ごさが)地図

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(つち)()(かど)天皇(第六皇子)
通子(みちこ)(源通宗(みちむね)の娘)
誕生 …1220年(承久2年)2.26
御名・異称 邦仁(クニヒト)・素覚
中宮 …西園寺?子
立太子 … ―――
即位 …1242年(仁治3年)1.20
在位年数 …5年崩御 …1272年(ぶん)(えい)9年)2.17(年齢53才)
皇居 平安宮
年号 (にん)()寛元(かんげん)
承久の変で、土御門上皇は土佐に配流されたため、3才であった後嵯峨天皇は、外戚の大納言源通方の所に身を寄せ、通方没後は祖母承明院在子の土御門殿に移った。突然の四条天皇崩御で、1242年(仁治3年)親王宣下と元服儀式が行われ践祖した。
1246年(寛元4年)、4才の皇太子久仁親王(後深草天皇)に譲位、後嵯峨上皇となり、後深草・亀山両天皇の院政を敷いた。
承久の変の後幕府の意向で即位したので、朝廷と幕府は円満であった。
嵯峨殿などの御殿を造営・歌合わせ・蹴鞠等を好み、高野山に行幸、1268年(文永5年)出家法皇となった。1272年(文永9年)崩御。
陵墓名 ()(がの)(みなみの)(みささぎ)   火葬塚  … 京都市右京区嵯峨亀尾町  円墳 空堀
所在地 京都市右京区嵯峨天竜寺内法華堂
崩御後亀山殿の別院薬華院にて火葬された。
中宮?子が亀山殿に法華堂を造営、遺骨を納骨した。
法華堂は5m四方、高さ4mの規模で、檜皮葺宝形造りである。前面に唐戸を設け、屋根頂部に方形の露盤があり、その上に火炎の宝珠をつけている。陵域は南面に透塀をめぐらし、周囲約145mで中央において区画する。西に亀山天皇陵、東に後嵯峨天皇陵を配置する。
当初亀山天皇陵とともに浄金剛院法華堂と称されたが、後改めて、後嵯峨天皇陵を嵯峨殿法華堂、亀山天皇陵を亀山殿法華堂と称した。
1906年(明治39年)嵯峨南陵、亀山陵と改め、今日に至っている。