第89代 後深草天皇(ごふかくさ)地図

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()嵯峨(さが)天皇(第三皇子)
藤原姞子(西園寺(さね)(うじ)の娘)
誕生 …1243年(寛元元年)6.10 
御名・異称 (ひさ)(ひと)・素実・常磐井殿 
中宮 西園寺(こう)() 
女院 (どう)院愔子(いんいんし)、藤原相子
立太子 …1243年(寛元元年)8.10 
即位 …1246年(寛元4年)1.29 
在位年数 …13年
崩御 …1259年(正元元年)11.26(年齢62才)
皇居 平安宮  年号 寛元(かんげん)(ほう)()(けん)(ちょう)康元(こうげん)正嘉(しょうか)正元(しょうげん)
天皇の治世中、鎌倉幕府の動向が朝廷にも大きな影響を与えた。
1259年(正元元年)後嵯峨上皇は、後深草天皇の弟(つね)(ひと)親王(亀山天皇)に譲位させた。後嵯峨上皇は後深草天皇より亀山天皇に目をかけていた。さらに、後深草天皇の皇子を無視した上、亀山天皇の皇子()(ひと)親王を皇太子に立てた。
後嵯峨上皇が崩御すると、幕府が大きな決定をし、亀山天皇を治天の君にした。
後深草上皇は不満を抱き、ここから持明院統(後深草天皇の系統)と大覚寺統(亀山天皇の系統)との対立が始まった。
亀山天皇の譲位により、世仁親王が即位(後宇多天皇)すると、後深草上皇はこれを不満として、出家する意向を示した。しかし執権北条時宗の斡旋により後深草上皇の皇子煕仁親王を後宇多天皇の皇太子(後の伏見天皇)に立てた。
煕仁親王が即位し伏見天皇となって、後深草上皇が院政を執った。伏見天皇の皇子が立太子したほか、後深草上皇の皇子久明親王が征夷大将軍として鎌倉に迎えられるなど、持明院統の優位に展開した。後深草上皇は院政をやめ伏見天皇の親政が始まった。

陵墓名 (ふか)(くさの)(きたの)(みささぎ) 法華堂
後深草天皇以下十三方合葬

所在地 京都市伏見区深草坊町
深草山で火葬され、法華堂に納骨された。
法華堂には、後深草天皇のほか、伏見、後伏見、後小松、称光、北朝後光厳、北朝後円融の六天皇と、後土御門、御柏原、後奈良、正親町、後陽成の五天皇がまとめて納骨され、12帝陵といわれる。
法華堂は、約4m四方、高さ3mの規模で、瓦葺宝形造りで、12帝合葬陵といわれる。土塀をめぐらし、冠木門を構える。
現法華堂は1864年(元治元年)に修理され、初めは深草法華堂と称されたが、1906年(明治39年)深草北陵と改められた。