米子市内地図
米子城跡地図
山陰歴史館地図
加茂川沿後藤家住宅地図

旧加茂川は、米子城の外堀として整備され、藩政期に物流の幹線として水運が盛んであった。
米子城の始まりは応仁〜文明年間(1467〜1487)に遡る、山名宗之により砦として築かれたと伝わる。
米子の中心地、標高90mの湊山に築かれた米子城は、別名久米城とも呼ばれ、山陰地方で
他に先駆けて築かれた本格的な近世初期の城郭である。戦国時代、飯山に砦が築かれたこが始まりと伝えられ、その後、毛利方の吉川広家によって本格的な築城が開始された。
 関ヶ原の戦い後に封ぜられた中村一忠によって完成された城は、山頂に五重の天守閣と四重の副天守閣を持つ壮麗な城で、周囲には二重の堀が巡らされていた。また、麓の高台には二の丸御殿、内堀と外堀の間には武家屋敷が建ち並び、堀の外側に定められた町人町には伯耆各地の町人が移り住み、城下町として賑わいを見せていた。
後藤家住宅
 江戸時代この地で回船問屋を営んでいた。主屋と一番蔵・二番蔵が重文。