八木邸地図

京都鶴屋
 八木家は、壬生村きっての旧家で、
かって壬生卿士の長老をつとめていた。
また、幕末には新撰組の近藤勇、
土方歳三らの宿所となり、旧壬生屯所として
知られている。
 壬生菜が入った「屯所餅」を表通りで営む。   新撰組発祥の地、新撰組屯所。
 文久3年(1863)新撰組の前身である清河八郎らの浪士隊は、入洛するとこの地を訪、壬生寺門前の新徳寺を本部として、
更雀寺や、壬生郷士前川荘司郎、八木源之丞邸などに分宿した。
 のち、清河八郎ら浪士隊は江戸へ向かったが、近藤勇、芹沢鴨らは京都に残って新撰組を結成、八木邸、前川邸を屯所とした。
 新選組が使った母屋は長屋門とともに約200年(2012−8現在)の歴史を持つ建物、一般公開されている。
文久3年(1863)9月この母屋で寝ていた芹沢鴨と平山五郎が暗殺された。鴨居にはその時にできた刀傷が残っている。