花矢倉展望台地図
横川の覚範の首塚地図
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横川の覚範の首塚
この辺の上下が上の千本で、俗に滝ざくらといわれている ところです。花の盛りに下の方から見上げると、あたかも花 の滝がたぎり落ちるように望まれるので、こう名づけられ たものでしょう。 さて、この小さな丘が横川の覚範の首塚という伝承をもっ ています。 文治元年(一一八五)十二月兄頼朝の怒りに触れた源義経 が、武蔵坊弁慶をはじめ、佐藤忠信、伊勢の三郎、常陸坊海 尊、鷲尾の七郎、片岡の八郎一騎当千のつわものとと もに、愛妾静御前を連れて雪の吉野山に潜入し、吉水院(吉 水神社)に身を隠していましたが、金峯山寺衆徒の味方を 得ることができず、途中で静とも別れ、この上の子守の社水 分神社まで逃げのびてきましたが、豪僧横川の覚範が追い すがってきたので、家来の一人佐藤忠信が義経の身代りと なって,中院谷(首塚の後ろの谷)で戦い、この少し上の花矢 倉から矢を浴びせ、覚範を討ち取りそのすきに義経,行を 落ちのびさせたのでした。そして討たれた覚範の首を埋め たところが、この塚だといわれています。 このことは「義経記」という本にくわしく描かれています。 吉野町 |