平等院地図


鳳凰堂正面 鳳凰堂 中堂正面
 平安時代の10世紀前後の宇治は藤原氏の別荘が多く建ち、
永承7年(1052)関白・藤原頼道(道長の子)が平等院を建てた。
別荘だった宇治殿を平等院という寺院に改めた。
 阿弥陀堂を新しく建立し、浄土式と呼ばれる借景庭園を造った。
阿弥陀堂(国宝)は鳳凰堂の名で知られている。
阿弥陀如来坐像(国宝・鳳凰堂の本尊)は定朝の三阿弥陀(法界寺・法金剛)と言われた。
金箔は、厚い高純度の金で造られ、頼道が持てる権勢で浄土にふさわしい金色にした。
仏師定朝(じょうちょう)がてがけた檜の寄せ造りで、漆を塗った上に金箔を押す
漆箔(しっぽく)仕上げ。天喜元年(1053)に造られた。
本尊阿弥陀如来坐像について 雲中供養菩薩像  平等院 
鳳凰堂の建築 浄土庭園 平等院の菩薩
京都・世界遺産 栄山寺 (重文)   
 11世紀中ごろは、律令国家崩壊の兆しがみえはじめ、世情の不安は高まり、
釈尊入滅から2千年で仏法が廃れるという末法思想も広がっていた。
 日出の位置が鳳凰堂の正面に近く、陽光の強い5月中旬宇治川を挟んで、鳳凰堂
の正面に当たる対岸には、高さ100mばかりの低い山が並んでいる。
これらの山を総称して朝日山と呼ばれる。
その山麓に宇治上神社があるが、古くは平等院の地主の神で、朝日山はその神体山
であった。
 その地主の朝日山の朝日を受けるときが、鳳凰堂の最も美しく見える時期といわれている。
朝日が朝日山の上をさしかかると、鳳凰堂が輝き始める。続いて広い地面に光が及ぶと、
これが反射して軒裏を明るく照らし、堂は直射と反射の二つの光に包まれて、そこだけが別
世界のような明るさになる。未だ充分に明けきらず、どこかに暗さを残している空の下、
左右の翼廊は空中に浮かぶ。池の反射を受けた本尊の尊顔が、堂の中央にくっきりと
浮かび出る。 
10円にデザインされている鳳凰堂。
1万円札にデザインされている鳳凰。
鳳凰堂に取り付けられている鳳凰。本物は取り外して鳳翔館に
展示されている。
金閣寺  銀閣寺   
南翼廊隅東側より 南翼廊南側より 鳳凰堂東北より、手前は阿字池 鳳凰堂北北東より
手前は北翼廊
北翼廊の柱

平等院多宝塔跡(復元基壇)
 かって平等院には鳳凰堂意外に多くの堂塔が建てられていましたが、
その大半は廃(すた)れ、場所すら不明となっています。この多宝塔跡は、
平成6年の発掘によって発見され、同じ場所に復元したものです。
 平等院に塔が建てられたのは、鳳凰堂建立の8年後(1061)で、
建立者は藤原頼道(よりみち)の娘の寛子(かんし)です。
文献には多宝塔と記されていますが、発掘成果は珍しい単層の塔(宝塔)
の可能性が指摘されています。
鐘楼
本物は鳳翔館で展示されている。
60円切手のデザインになっている。
西

平等院院内案内図より
法花堂之路
 平安時代の平等院には、境内をめぐるいく筋かの小道があったことが
記録ににみえます。
阿字池の東側を巡る野路、鳳凰堂の南側の高台を巡る山路がそうです。
この山路の一つとして法花堂之路(ほっけどうのみち)と呼ばれた園路が
ありました。
 法花堂之路は鳳凰堂南翼廊(ほうおうどうみなみよくろう)から反橋
(そりばし)を渡った対岸から始まる小道で、南に向かってのびていました。
途中に頼道が建立した法華堂があったため、この名前が付いたと
考えられます。
 平成10年に、この位置で法花堂之路の一部が発掘されました。
 発見された道跡は地下に保存し、同じ位置に再現表示しました。 
平等院

藤棚 観音堂(重文) 表門
朝霧橋 
宇治川北岸と中の島にかかる橋。
橘橋 
宇治川南岸と中の島にかかる橋。
宇治川先陣の碑
 上流は天ケ瀬ダム、源は琵琶湖であり、琵琶湖の水は人工的に作られた琵琶湖疏水を除き、
唯一つ琵琶湖から流れ出る瀬田川の水となって流れる。
 この水は一旦天ケ瀬ダムに溜まり多目的に使われる。放流された水は宇治川の水の流れとなる。
宇治川の水の流れは速く、いつ見ても恐ろしい。
 宇治川は大山崎あたりで木津川、桂川と合流され淀川と名前を変え大阪湾にそそがれる。
 
蹴上インクライン  背割堤  宇治橋 
古代より水陸交通の要所であった宇治は幾多の合戦の舞台となり、なかでも、
寿永3年(1184)の木曽義仲と朝廷から義仲追討の任を受けた源義経の戦いは有名です。
天下の激流を挟んだ両軍の決戦は、義経軍の名馬「するすみ」に乗った梶原景季(かげすえ)と
名馬「いけづき」に乗った佐々木高綱の「先陣争い」で幕を切って落としました。
先陣は策にたけた高綱がとり、義経軍が一斉に渡河して義仲軍を打ち破ました。

観音堂に安置されている 「木造聖観音菩薩立像」が造られ

た当初は直立した姿ではなく、前傾姿勢で死者を迎える「来迎」の姿

とみられると、調査した平等院が6日発表した 。平安時代後期の作

とみられ、立ち姿の来迎仏像としては最古の可能性があるという。

像高約109cm鳳凰堂の本尊阿弥陀如来坐像 (国宝)を手

がけた仏師定朝の流れをくむ作風とされ、平等院を創建した藤原頼

通の守り本尊とも伝わる。

2015年から公益財団法人美術院(京都市)が修理、調査した

ところ、衣がたなびき、帯が後方にめくれあがるなど、前から風を

受けているような意匠が施されていたことが判明。さらに、左足を

踏み出しているのに右足に重心がかかった不自然な姿勢をしていた

ため、詳しく調べたところ、仏像の衣の裾部分を台座にめり込ませ

た状態で無理やり直立状態にしていたことがわかったという。

平等院によると、この観音像はもともと独立した仏像ではなく

阿弥陀三尊(阿弥陀如来、観音菩勢至菩薩)のうちの観音像が

何らかの理由で独立したと考えられるという。これまで最古とみら

れてきた浄土寺(兵庫県小野市)の阿弥陀三尊像(快慶作、鎌倉初期)

より古い可能性があるという。

京都国立博物館の淺湫毅·連携協力室長は「同時代の定朝様の仏

像とは様々な面で異なる特徴がある。本来は雲に乗って飛来する姿

だったとも想像される」とみる。

聖観音菩薩立像は、7日~来年1月12日、境内の平等院ミュージ

アム鳳翔館(0774·21·2861)で展示される。無休。
2017-10-7 朝日新聞 (小山琢)

 






















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