宀一山 室生寺地図
 主な年中行事、本尊、開山、開創年、御詠歌、電話などは こちら 宝印

 
太鼓橋から表門 仁王門 石段ー鎧坂
 「女人高野」として名高いこの寺は、古くから女人の入山を許していた。天武天皇九年(白鳳年間・681)天武天皇の仰せにより
役行者によって開かれ、後に弘法大師(平安時代)の手で伽藍の整備がおこなわれ、真言密教の道場とした。
 境内には多くの国宝、重文が残されている。
 高野山は明治初期まで女人禁制だったが、室生寺は女性に開かれて「女人高野」の名が高まった。
 山林修行の霊地だった。寺が建立されたのは奈良時代の末に、
皇太子山部親王(後の桓武天皇)の病気平癒祈願がきっかけだった伝わる。
 奈良時代末期ごろ興福寺別院として創建された。
江戸時代に奈良・興福寺の配下を離れて真言宗の寺院として独立。
 奈良、京都に比べると建物が小さく、屋根は和風の檜皮ぶきや?(こけら)ぶき。堂塔のこじんまりした雰囲気と和風色は女人高野らしいが、
これは地形に制約さているためで、女人高野と呼ばれる以前からである。
金堂(国宝) 梵字池 本堂(灌頂堂)国宝
釈迦如来立像(国宝)
十一面観音菩薩立像(国宝)
薬師如来立像(国宝) 地蔵菩薩像(重文)
十二神将(重文) 文殊菩薩(重文)
が安置されている。
くわしく⇒⇒⇒
 檜皮葺、ここの本尊は木造如意輪観音菩薩坐像(重文)で空海の作と伝え、
春日厨子内に安置されている。
神呪寺
(第17番)及び観心寺(第13番)とを日本三如意輪という。

本堂

 本堂(鎌倉時代·国宝)は、真言宗の法儀である灌頂頂を行う堂としての瀧頂堂。また蘇悉地経による道場

として悉地院の名がある。室生山中最大の仏殿で、和様を基本に、唐様と天竺様を応用したユニークな建物

である。 

本堂 本 尊 如意輪観音像

 本堂内陣の正面に安置されている如意輪観音像(平安初期·重文)は、日本三如意輪の一つ。六本の腕が、

自由な身のこなしと調和して美しい。像を安置する厨子と、厨子の須弥壇はともに鎌倉時代で重文に指定さ

れている。

釈迦如来座像(平安時代·国宝)

 檜の一木で彫成した高さ一メートル余りの等身像ではあるが、まことに堂々たる偉丈夫のおもむ

きがある。端正な顔容は、知智的な美しさがみなぎりリズミカルな飜波式(ほんば)の衣文は、ひときわ
美事な彫刻の美をあらわしている。しかもこの像は、完成された飜波式の刀法を示す一好例であるば
かりでなく、我が国の平安初期彫刻像の中でも特に秀れた傑作の一つに数えることが出来るのである。

弥勒堂(重文) 五重塔(国宝)  本堂から塔へ
 参道の石段を上がると左手にある最初の建物。
金堂前庭の左手にある三間四方コケラ葺の堂内部の須弥壇には
弥勒菩薩立像(重文)が、脇壇には釈迦如来坐像(国宝)が安置されている。
国宝の仏塔一覧  室生寺の五重塔  徹夜の行軍
五重塔(国宝) 室生寺の釈迦如来 
弥勒堂 弥勒菩薩像

 興福寺の伝法院を鎌倉時代に移築した弥勒堂(鎌倉時代・重文)の、堂内中央の厨子内に安置された弥勒

菩薩像(平安初期・重文)は、一木造りの平安初期に流行した檀像彫刻の典型的な作例である。

五重塔(天平時代·国宝)
 五重塔は本堂の上手、奥の院に行く登り口、緑の木立の中にある。
 方三間、弘法大師の一夜造りといわれる。
塔内には、百回忌本尊である五秘密菩薩(額)がある。
 建立は800年頃(平安初期)とされる。
 平成10年(1998)の台風で半壊したが、修復されている。

 総高一六·七メートルと、屋星外に建つ五重塔では最小のもの。勾配がゆるく軒の出の深い檜皮葺の屋根は、朱塗りの柱や白壁

とこころ良い対照を保ちつつ、深い杉木立に可憐な姿を織りなすこの塔は、平安時代初頭の建立と云われて来たが、屋根の檜

皮以外は天平時代の塔とほとんど変る処がなく、室生山中最古の建築である。この塔は頂上の相輪が珍しく、九輪の上には普

通ならば水煙であるのに、これは宝瓶を載せて宝鐸を吊りめぐらして天蓋を作ってあることなど、他に類がない塔である。

 五重塔から奥の院へ 
原生林にかこまれた石段を登る。
七重石塔 位牌堂
  奥の院 御影堂(重文) 護摩堂 天神杉
奥ノ院御影堂

 五重塔から奥へ、原生林にかこまれた胸突きの石段を登ると(五重塔から約400段上がったところにある)
舞台造りの位牌堂と弘法大師四十二才像を安置した御影堂(鎌倉時代.重文)の前に出る。方三間の単層宝形造、
厚板段葺で頂上に石造の露盤が置かれているのがめずらしく、他に例を見ない建物である。  
 弘法大師の像が安置してあるので大師堂ともいう。

 
五重塔  仁王門 北畠親房之墓