金屋の石仏

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伝弥勒菩薩(重文)
伝釈迦如来(重文)
 小さなお堂の中に石仏(重文)二体がある。
高さ2.2m板石に立像が浮き彫りにしてある。
伝釈迦如来(右)と伝弥勒菩薩(左)の像は、
お堂の中に立ち、その浮き彫りされた線は流れるように美しい。
様式や技法から、平安後期の作と考えられ、
般若寺大石塔の四方仏とその手法は同じである。
もと平等寺の厨子として三輪山中(ミクロ谷)にあったものを、
明治の神仏分離のとき運びおろされたとされる。
紫は  海柘榴市(つばいち)   今井町 
 収蔵庫のような建物に安置されている。
 素材となっている石材は石棺の蓋石が利用された石棺仏である。
 石仏収蔵庫の下には、加工痕のある2つの石材が置かれている。このうち1つは阿蘇ピンク石
の家形石棺の素材である。大きさは長さ約2m、幅約95cm、高さ約35cmで、外面には長側辺に
2ヶ所ずつ、計4ヶ所に縄掛突起が存在する。
 こうした形態的特徴から5世紀末頃のものと考えられるが、この石棺が使用された古墳に関しては
一切知られていない。
 桜井市内にはミロク谷石棺のほか、慶雲寺境内石棺と兜塚(かぶと)古墳前方部石棺の2例の
阿蘇ピンク石製石棺が知られている。
阿蘇ピンク石(あそぴんくいし)
 阿蘇山麓で産出される溶結凝灰岩(ようけつぎょうかいがん)のことで、乾燥した状態でピンク色
をしているためにこう呼ばれている。また、熊本県宇土市(うど)の馬門付近で採掘されるため馬門石
(まかどいし)とも呼ばれている。
 当初は産出地周辺だけに使われていたが、古墳時代中期末〜後期前半には、近畿・瀬戸内地域
のみで石棺材として利用され、再び地元でも使われるのは古墳時代後期からと言われている。