鴨山口神社地図
祟道神社 地図
専念寺 地図
浄土寺 地図
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鴨山口神社

 
 葛城山
   

 葛城山麓の扇状地、櫛羅大湊に位置する本社は、古くから朝廷に皇居の用材を献上

する山口祭を司どった由緒深い神社であります。祭神は、大山祇神、大日霊命(おおひ
るめのみこと)、御霊大神、天御中尊をお祀りしています。

 『延喜式神名帳』には、山口社は十四社あるが、その内、葛上郡の鴨山口神社が本

社であるとされており、即ち式内の大社として格式の高い神社であります。

 本殿は、春日造桧皮羊(八尺に七尺)であり、拝殿は、瓦葺(五間に二間)であり、本

殿に安置されている大日霊貴命坐像(おおひるめのむち)、御霊大神坐像は国の重要
文化財に指定されています。 

       
 古くから朝廷に皇居の用材を献上する山口祭を司

った神社。祭神は、大山祇神、大日霊命、御霊大

神、天御中尊を祀っている。本殿は、春日造絵皮

葺で、拝殿は、瓦葺、本殿に安置されている大日

霊貴命坐像、御霊大神坐像は国の重要文化財に指

定されている。 (御所市櫛羅) 

藤原時代前期(800年代)とされる木造座像あり

大日靈責は衣冠と付け、御雲大神は女神とされ共に

重文(国宝)に指定されている。

当社西方に猿目という垣内かある、昔、猿田彦大神顯れ

:のような霊異地は珍しく照輝くこと日,月のごとく

すなわら時々天照皇大神天降り?いて鎮座云々と記され

ており、この地の在所と??羅邑と申すも

天照皇大神の御霊日月のごとく奇異に現れ鈴?いし

よりの名なりとされ、クシラとはクシヒトという

転訓なり、御霊の2字もクシヒトと読めり .

之当所をも霊異邑と申なれども

のち俗語してクシラ邑となると記されている。

(由結書)

御所市大字櫛羅字大湊2428 

 
天満社 
御祭神 菅原道真
 
八幡神社 
御祭神 誉田別命
 金刀比羅神社  
御祭神 大物主
 
稲荷神社  
御祭神 倉稲魂命
 
春日神社 
御祭神 天児屋根命
 
椿山神社 
御祭神 宇迦之御魂神
 
天照皇大神宮 
御祭神 天照皇大御神
 
 鴨山口神社境内より御所方面(東)を望む



祟道神社

   
崇 道 神 社

祭神  崇道天皇(早良親王)

由緒 創立年月日並びに自後の履歴不群

御祭人 崇道天皇について、

 崇道天皇は、早良親王に与えられた追号である。早良親王は、父、
光仁天皇(四十九代)と母、高野新笠との問に生まれ、兄は桓武天皇(五十代)

である。はじめ出家したが、父、光仁天皇が即位すると親王となり七八一

年(天応一)、兄、桓武天皇の即位と同時に皇太子となった。桓武天皇には

すでに皇子があったのであるから、おそらく父、光仁天皇の意志によった

ものであろう。

 このため桓武天皇と弟、早良親王との間は、あまり円満でなく、天皇の

信任厚い、藤原種継とも人事問題が絡んで不和だったようである。

 七八四年(延暦三)長岡遷都がおこなわれたが、翌年主唱者の藤原種継は

暗殺された

 事件の首謀者として、大伴継人・大伴升良や前月病死した大伴家持など

がそれぞれ処分されたが、早良親王も関係者として乙訓寺 に幽閉され、

自ら食を絶って淡路へ移送される船中で死んだ。

 現在の「続日本記」には関係記事が削られているので詳細は、わからない

が藤原氏政権獲得の犠牲者として世人の同情も集ったようである。

 そのころ、皇室に覆々不幸が起り悪疫も流行したが、みな早良親王のた

たりとして恐れられ、八〇○年に崇道天皇の追号が贈られた。

 長岡京が廃止されたおもな理由もこれによる。京都市上京区の御霊神社

にまつられている。

追記

 奈良時代から平安時代にかけて、不遇の死を遂げ、この世に銀みを残し

た人々の霊魂、つまり怨霊を恐れる思想がひろまった。とくに偉大な個

性を持った人物ほどその崇(たたり)は恐ろしいものとされた。

 延暦四年(七八五)に没した崇道天皇や延喜三年(九O三)配流地の太宰府

で客死した菅原道真がその代表的なものである。

「注」この内容については「平凡社」の世界大百科事典より抜すいしたものである。 
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