遣隋使

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 日本の歴史のなかで、奈良平安時代は律令国家の時代とも呼ばれています。中国の

隋·唐の時代に完成した律令法を導入し、古代国家を確立,律令体制に基づく国家運

営のしくみが展開·変容する時代でした。長らく倭国と称した国名も日本と改められま

す。この律令国家「日本」誕生の舞台こそが飛鳥の地でした。

 では、律令とはどのようなものでしょうか。

 中国では王·公·卿(けい)·大夫(だいぶ)・士(し)という支配者階層を律するものとして礼
(らい)が根底にあり
ました。刑罰を規定した律は、吏僚(りりょう・役人)集団·庶民を統制
するものとして定められ
ます。その後、行政法が刑法から分離して令が成立します。

 施行細則としての式、時代の変化に応じて律令を全面的に改訂するまでの間の
改訂法
令を集成した格(きやく)も不可欠です。したがって、中国では礼的な規範を含
む律の方が重視
され、唐代の律は『故唐律疏議(ことろりっそぎ) 議』として伝わって
います。

時代によって変化する令は散逸し、諸文献から間接的に復元されてきました。
最近知ら
れた北宋の天聖令(天聖は年号)の写本は、唐の開元25年令(737年)の原文
を知る
ことができる材料であり、唐令復元の新史料として注目されています。

 一方、日本では、まず天武持統朝(673~697年)に飛鳥浄御原令(きよみはらりょう)
が編纂.
施行されます。行政法としての令の方が優先され、律令は統治技術の先取り、
もしくは
目標として導入されたといえます。その後、701年に大宝律令、718年に養老律令、
それからほぼ100年たった9世紀になって格式(きゃくしき)や儀式書(礼に相当)が編纂
され、律令は日本の社会に定着していきます。

 日本では中国とは逆に律は散逸し、令は養老令がほぼ残っています。原則よりもマニ

ュアルの方が大切にされ養老律令以降は律令をつくっていないので、いったんできた

法典を長く変更せず、運用の方で変更して維持するという特色がうかがわれます。

 律令体制導入の契機として、600年の遣隋使が重要です。これは478年の倭·武の入貢
以来の中国への遣
使でした。隋に対して、倭王は天を兄とし、日を弟としているとか、
夜明け前の政務
(祭祀)と、日の出以降は弟に政務を委ねる形態などを自慢したのです
が、文帝に「大
いに義理(道理)なし」と一蹴され、訓導を受けてしまいます。倭国はこの間
に構築し
てきた国家組織が、国際基準に合致しないことを感得したのです。
冠位十二階の制定は
603年で大恥をかいたとが改革の原動力になったのでしょう。
  2015ー3-6 朝日新聞
 (東洋大学文学部教授森公章)

■養老令の主な編目

①職員令 中央·地方の官司の構成。官名や職掌などの規定

②戸令 人民把握のための行政区画や編戸、造籍などの規定

③田令 田の面積や租、口分田の班給など土地に関する規定

④選叙令 位階の叙位と官職の任官の規定

⑤考課令 官人の勤務評定と官人登用試験の規定

⑥禄令 季禄や食封など官人への俸禄の規定

⑦軍防令 軍団や兵士などの構成、装備などに関する規定

⑧衣服令 官人の礼服や朝服、制服の規定

⑨営繕令 建物や橋、堤防などの造営と修理に関する規定

⑩喪葬令 天皇以下官人の死に関わる葬儀、陵墓はどの規定