日本書紀より



田道間守(たじまもり)

九十年の春二月の庚子の朔に、天皇、田道間守に命せて、常世国に遣して、非時の香菓を求めしむ。香菓、此をば箇倶能未と云ふ。今橘と謂ふは是なり。
九十九年の秋七月の戊午の朔に、天皇、巻向宮に崩りましぬ。時に年百四十歳。冬十二月の癸卯の朔壬子に、菅原伏見陵に葬りまつる。
明年の春三月の辛未の朔壬午に田道間守、常世国より至れり。則ち齎る物は、非時の香菓、八竿八縵なり。田道間守、是に、泣ち悲歎きて日さく、「命を天朝に受りて、遠くより絶域に往る。万里浪を蹈みて、遥に弱水を渡る。是の常世国は、神仙の秘区、俗の臻らむ所に非ず。是を以て、往来ふ間に、自づからに十年に経りぬ。。豈期ひきや、独峻き瀾を凌ぎて、更本土に向むといふことを。然るに聖帝の神霊に頼りて、僅に還り来ること得たり。今天皇既に崩りましぬ。復命すこと得ず。臣生けりと雖も、亦何の益かあらむ」とまうす。乃ち天皇の陵に向りて、叫び哭きて自ら死れり。群臣聞きて皆涙を流す。田道間守は、是三宅連の始祖なり。
田道間守⇒⇒⇒
庚子(かのえね) 朔(ついたちのひ) 命(みことおおせて)常世国(とこよ)非時(ときじく)  香菓(かくのみ) 箇倶能未(かくのみ) 戊午(つちのえうま) 年百四十歳(みとしももあまりよそじ)癸卯(みづのとのう) 壬子(みづのえねのひ) 葬(はぶ)   齎る(もてまうでいたる) 八竿八縵(やほこやかげ) 泣ち(いさち) 日さく(まうさく) 命(おほみこと) 天朝(みかど) 絶域(はるかなるくに) 万里浪(とほくなみ) 蹈(ほ)みて 俗(ただひと)の 臻(いた)らむ 豈期(あにおも) 峻(たか)き
雖(いふと)も 死(まか)れり  群臣聞(まへつきみき)きて  始祖なり(はじめのおやなり)