田道間守(たじまもり)

垂仁天皇陵のお堀に浮かぶ田道間守の円墳の墓。
陪塚はよくあるが、天皇陵124基の内、
周濠内にあるのはここだけである。
日本書紀 田道間守⇒⇒⇒
地図
この写真の位置は少し悪いが、
墓の正面にある鳥居。
お墓の奥に微かに見えている鳥居が
垂仁天皇陵のもの。北東方面より見たところ。
垂仁天皇陵。南方より。
古代の伝説上の人物。天日槍(あめのひぼこ)の裔で、垂仁天皇の勅を奉じて常世国に至り、非時香菓(ときじくのかくのこのみ)(橘)を得、10年後に帰ったが垂仁天皇崩後であったので、香菓を山陵に献じ、嘆き悲しみ、遂に陵前に殉死したと伝える。――広辞苑より―― 「日本書紀」によると、第11代垂仁天皇の時、勅命を受けてトコヨの国(中国雲南省か)へ不老長寿の薬を求めに行った田道間守が、11年の長い間苦労してようやく秘薬を捜し求め、持ち帰ったところ、天皇は既にお亡くなりになっていた。
このとき彼が持ち帰ったものをトキジクノカグノコミといい、この実を当地に蒔くとやがて芽を出したのが橘(ミカンの原種)で、それからこの地を橘と呼ぶようになったと伝えられる。また彼は、黒砂糖をも持ち帰り橘とともに薬として用いたので、後に蜜甘・薬・菓子の祖神として崇め祭られるようになった。菓子屋に橘屋の屋号が多く用いられるのは、この縁によるものである。――橘寺縁起より――