おふさ観音寺地図

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真言宗観音寺
本尊 十一面観音菩薩

 2,000株のバラが咲く「バラまつり」。

境内にはイングリッシュロースを主に約1,800種類

約2,000株のバラが植えられ、「花まんだらの寺」と

も呼ばれる。「バラまつり」(5/15〜6/30)では、境内

いっぱいに咲き誇るバラを愛でることができ、多くの

バラ愛好家でにぎわう。

 江戸時代中頃のこと、「おふさ」という娘がこの辺を歩いていると、
白い亀の背に乗った観音様が現れたという。
ありがたいことだと人々が建てたほこらが前身と伝えられている。
 バラは約4千uの境内に、約1200種、約1500株が栽培されている。
   
 
   
恵比寿天 三宝荒神王 

小房観音の縁起

 当山 は通称 おふさ観音「生かせ命の寺」といわ

れ、大和随一の観音霊場である。

本尊十一面観世音菩薩は、かって京都比叡山北谷

の観音院御本尊であったのを、慶安三年四月一七

日大和小房の聖地にご遷座された。国内はもとよ

り遠くハワイ・ブラジル・カナダからも本尊のご

霊徳を信仰する者多く、祈願に身心浄化に、人生

相談に参拝者で賑っている。

寺内は庭園及大客殿、本堂、大師堂等甍を並べて

美しい。

大衆の信仰こそ

 当山は、皇室や大名一個人の崇敬者で現在まで続いて

来たのではない。名も無い多くの大衆の信仰あればこ

そ、どんなうき世の変化にも変わる事なき炎と燃える

信仰の灯を連綿と続けて来たのである。本尊お観音さ

まの霊力は、私達の信力念力と合体して幸せの過をこ

の世に巻き起している。よって祈願料は自由。

有縁の人は一切の心せず、気楽に参拝し祈願し、山主
密門僧正さまの霊感に人生指導を受けられるがよろしい。
心身浄化と因縁浄化には加持析騰と法話を聞かれ受け
られたい。

執事 重見和俊

 

廃仏運動と小房観音

 明治初年より、日本国中を吹き荒れた廃仏運動は大和紀

州にも盛り上った。十津川村は全村神道に転向奈良興福

寺は春日大社と分れて五重塔も売りに出た程である。多

武峯の妙楽寺(天台宗)は廃止して談山神社と称した。

その時、おびただしい仏像什器が売りに出され、多武峯

より当山へ所伝したものである。廃仏運動のロ火は明治

四年 に、時の新政府が神道を国家神道として軍国主義の

道具にしようと考えて出した「神仏分離令・神仏判然令」

がもとである。神道国教化は仏教のみならず、神道をも

大きな変質と苦しみを味わわせた。

山主密門光範

講まいり団体まいりとがんよけご飯

 小房観音には多くの信仰団、すなわち講社がある。例え

ば鏡講(門真)、蓮根講(大阪放出町)、寿養講、(京都)、

桑名小房講等々、約五十数講である。その他大和ほけ封

じの団参、大和めぐりの団参まで年中参拝の人々が絶え

ない。団参の方々は山主さまの法話を聞き、祈願を受け

て大客殿で湯茶の接待を受けて清らかな一時を過される。

癌よけご飯のお接待は三十人より受付け中、問 い合わせ

て下さい。

執事 重見和俊

 

大和七福神恵比寿尊天

 大和七福神めぐりは近年ますます感盛んになっている。

恵比寿尊天は、いざなぎ、いざなみ二神の第三子であり
別名夷三郎という。

元来漁民の神であったが、商売繁栄のエビスさんと親しま
れている。

本尊観音様と同時に、西の宮より勧請した地主神である。

参拝者の方々は本堂内陣で加持祈稿を受け、諸々の心願
成就の祈り をこめら れる。

諸堂案内

○本堂

本尊積十一面観世音菩薩

お脇立 不動明王

     毘沙門天王

     四天王

     ?尊

     文殊菩薩

     普賢菩薩

西国三十三ヶ所出開帳

貧女の一灯

弁財天

阿弥陀如来

薬師如来

裏本尊一言成就千手観世音

○大師堂

弘法大師

庚申尊

晋大士尊

○三宝荒神社

○きよめ不動尊

○地主神社(大和七福神) 恵比寿天

○子安子育観音

○水子地蔵

○玉置神社

○愛染堂

○弁財天堂

○稲荷社

○みくろ菩薩

○地蔵菩薩

○本坊大黒天

○客殿、結婚式場は神仏諸天 諸仏合

祠であります。