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端っこ

写真は 大抵端っこに写っている
コーラスで舞台に立つと 端っこだ
電車の中でも 気がつかぬうちに
端っこに座っている
会社の遠心分離機に
四十年 振り回され
かろうじて 端っこにひっかかり
はみだしそこなって 残ったから
その習性かな
八番ライト みたいな 定位置

切り分けられた巻き寿司の
端っこが好き
具が 豪勢にはみだしていて





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甘酒


近くの こじんまりした神社
元旦に 甘酒をただで振る舞ってくれる
ご奉仕接待のおばさんたちが 
あまり関心がなさそうな あでやかな着物姿の
若い女性の二人連れに 
声をかけて薦めている
通り過ぎるところを 立ち止まり
顔見合せて もじもじと寄ってきた
「なに味(あじ)ですか」
いちご系 トマト系 ヴァニラ系 マンゴー系
それがわからぬうちは おめおめと・・
訊かれたおばさんが 絶句してる間に
別のおばさんにお代わりその隣りにいる別のおばさんに またお代わり
 どさくさに三杯飲んで
ご機嫌のおっさんが サービスの代返
生姜あじ やがな あんた
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病院

ばあさんが三人
内科前の長椅子で おしゃべり
まつえさん まだこないねえ

風邪引いたらしいよ
今日は来ないって言うてた

そのうちの一人が 眼科前で
知り合いを見つけて近づいた
長いこと待ってるの
そう
H町のA病院はすいてるよ
あっちへ行ったら

ありがと

病院へは来てみるもんやね
誰かに会えるもん

院長さんが 今日もニコニコ
向こうの廊下を歩いている



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シャトルバス

琵琶湖畔に住む息子夫婦に
赤ん坊が生まれた
大きなリゾートホテルの
隣りにあるマンションまで
孫の顔を見に行くのに
爺さんがJRの瀬田駅から
とぼとぼと二十五分歩く
帰りの車中 ひとつ手前の石山駅前に
バスが停まっているのに気付いた
ホテルの名前が書かれた送迎シャトルバス
爺さんは 次はあれに乗って行くと電話した

翌日 息子の嫁から電話があった
これこれで義父が乗せてもらいますが、
いいですかとホテルに訊いたら
それはご遠慮願いますって
なんだ 桜の木を斧でちょん切った
ジョージ・ワシントンかい
彼の少年時代
かの地に 桜はなかったんだって
偉人伝に花を添える作り話だったんだって
でも 彼女は 爺さんが そっくりかえって
堂々と乗ってこれるように
そして
ホテルの偉い人は きっと

ワシントンの父親みたいな偉い人に
琵琶湖みたいな でっかい心の人に

違いないと思ったのだね

ホテルの喫茶室の前で 財布の中を覗き
首を傾げる演技をしてから
スタスタとエントランスを出て行く
つもりだった ついてない爺さんは
ぶつぶつ こぼしながら やっぱり
次の瀬田駅まで行って 二十五分歩いた


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春の落ち葉


ある午後
バス停にひとり立っていると
すぐ前の舗装路を
かすかな音を流して走るものがあった
サーサー シャーシャー シャリシャリ
沢山の沢蟹の群れが
ピタリと立ち止まってはまた
一斉に動く
と見えたのは
楠の木のおびただしい落ち葉

見上げると
近くの神社をすっぽり包む
楠の木の大樹の森
春の小さな嵐に揺れていて
透き通るような若緑の葉っぱと同居している
くすんだ桧肌色の あかね色の えび茶の
枯葉たち

跳び下りる前に身構えて
背中を軽く押してくれる風を合図に
ジャンプ台を揺すっては
少しずつ 次々に 跳ぶ
シャリシャリ シャリシャリ
みんなでバス通りを占拠して
とっくに駆け去った季節を
追いかけていった




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水たまり


   雨あがりの公園

二台のブランコの下に

スペードのかたちをした

水たまりができている

覗いたら

断頭台が二つと おれの頭

揺れて 浮かんでいる

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洗濯


     腰がちょっとだけ曲がったお婆さんが

洗濯物を竿に吊るして

一つひとつ丹念に皺を伸ばしてから

朝の太陽に両手を合わせている

精いっぱい腰も伸ばして

 

歳とった犬とぼくが

公園のベンチから

ぼんやりそれを見ている

 

方々傷だらけで 薄汚れてもいるが

しっかり洗って 四隅をピンと張り

陽に当ててみたら

今からでも なんとかなるかな

おれの心と おれ


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下草


たくましく伸びた木々の

ひろがった枝や葉っぱの日傘の下

気まぐれな風のそよぎが

木の影の間に わずかに作り出す木漏れ日

それを 地面すれすれのところで

せいいっぱい手をひろげて捕まえて

小さな緑が 薄暗い林の中に 這う

踏まれる 

そして刈られる

 

まるで俺だな

 

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ものにより


宣伝カーが 家の前をとろとろと通る

ゆったりと間延びして 独特の抑揚をつけて

「古いバイクを 高あーくう高く 買あーいーます」

 

定年の古い男

長い時間かけて 新聞の求人欄を見ている

高く買ってくれそうな 会社を探している

 

遠ざかるバイク屋の声 注意をこらして聴くと

「高あーくう」の前に 聴き取りにくい早口ですばやく

「ものにより」と言っている



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きょうちくとう


川沿いの道路脇に

赤い花 白い花をつける木が一本ずつ

木の前の道をへだてて 古びた家が一軒

長いこと 雨戸が閉ざされていた

 

ああ 壁の塗り替えをしている

どうやら売れたらしい

安心したように 咲き出した

赤い花も白い花も

 

びっしりと いっぱい咲く気なんか

戦争に負けた年の 夏みたいに

 

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置いたまま


「両足を閉じて 頭が上へ引っ張られる気持ちで

つまさき立ちして伸び上がる

それから 頭をその位置に置いたまま

かかとを静かに地面におろす

すると 胸郭がこんなにひろがって

身体の楽器のパイプが 大きくなるのよ」

合唱指導の先生の胸が眩しい

 

夕方から始まった会議が延々と長くなる

終わる気配は さらさらない

今日は忙しくて昼飯抜きだったから

すきっ腹がきびしい

頭を会議の席に置いたまま

静かにお腹だけ 食堂に移して・・・


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借景

小学校六年のときの同級で

利発で可愛らしかった女の子が

同じ京都の 女子大にいるとわかったので

講義をさぼって彼女を誘った

眩しいおとなの女性になっていて

うろたえた

 

岩倉の円通寺へ行った

ふたりとも ぎくしゃくして お互いに

肝心の目の前にいる人間のことや

今 なに考えとるのか

めしでも食うのか食わんのか

さっぱり話が進まないで

大昔の先生やら 友だちやら 学校の行事やら

遠い景色ばかり借りてきて 話をした

そして あとはだまって庭を見ていた

借景の比叡山がアクビをしていた


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賞状

壇の上で 小さな女の子が泣いている

小学校三年生が 泣いている

クスンクスン 泣きじゃくっている

 

創作詩の特選入選優良佳作 十二人の表彰式

人で埋まった会場から 一人ずつ

ものものしく名前を呼ばれ

拍手と歓声に送られて 壇上へ

舞台左手奥の 定められた椅子に座っていく

 

十二人が座り終わってから

今度は上位から また一人ずつ呼ばれて

中央のエライ人の前に進み出る

「ナントカカントカで 以下同文」

 

順番がトントン進み

司会の背広のおじさんが

「ハイ 以上で小学校の部を終わり

次に中学校の・・・」と言いかけて

 

会場がざわめいた

小さな女の子がひとり

舞台の上の席に ポツンと残っている

うつむいて 肩を震わせて 嗚咽して

優良作ひとつ

賞状渡しがうっかり漏れた

 

晴れがましい壇上で

両親や友だちがいっぱい見ている前で

悲しい 恥ずかしい 心細い

好奇の視線が身体に突き刺さって 痛い

なんでこんなことに・・

今すぐ ここから消えてしまいたい

 

「よびもどし」という相撲の手 知ってる?

初代「鬼」の若乃花が得意とした荒らわざ

相手を懐に引きつけ

抱くようにして浮かせてから

反動をつけて

土俵に叩きつける

 

高く抱き上げられてから

ほうりだされた少女に

あらゆる慰撫の言葉はむなしい

細い骨と薄い肉が土にめりこみ

鋭く尖った失意と不信のやじりが

小さな胸を貫いた

 

壇の上も 名前を呼ばれるのも

詩を創るのも 世の中も

みんなきらい みんな みーんな大きらい

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見届けて

「水の流れが止まるのを確かめてから

出てください」

ドアの内側に張り紙がしてある

ほかに客がない民宿の 主客共用トイレ

 

四十年働いて 擦り切れ干からび

功なし罪なし

企業社会から無事放免の 定年の旅で

考えている

これまで

ひとつの仕事をきちんと仕上げて

結果を見届けてから次に移った

ということがあったか

 

ほぼ二年ごとの転勤

未取引の新しい客を追い

引き継いだお客を逃さず

おカネを預かり おカネを貸す

仕事は常に

ある地方の ある支店の ある時期の

一片の接点をなぞって流れるだけ

仕事も 仕事をしたはずの人間も

流したまま 流れたままで 出て行く

 

勢いよく流れ出した水と その音が

やがて スーッとかすかになって

ストンと消えるはずなのに

なんだかまだシューシューと

名残惜しげだ

まだ出るわけにはいかない

 

ただただ あぶくの実感しかない

長い勤労の果ての日々に

とまどいながら

これからの ストンと消える日までの生を

今度はしっかり

見据えないわけにはいかない


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名前

二十三画である

姓込みでなく名前だけの字画数

テスト用紙が配られ 用意始め で

一斉に鉛筆をとって 答案を書く

先ず 忘れずに名前を書けエ

試験監督がうるさく言う

親心である

 

二十三画だから

ほかのフツーの受験生より

十五秒は遅れをとる

これはハンディキャップである

息子二人の名前は だから仁と正

四画と五画である

一画と二画でもよかったが むかし

一画の名前でイヤなやつがいたし

二画の字はどう読ませるのかわからなかったから

やめにした

これで愚息どもは

   五秒くらいは他に先んずることができる

はずである

親心である

 

息子二人の 一人ずついる孫息子の名前は

漢字一字であるのは 息子と同じであるが

十画と十一画である

手抜きというか ちょっぴり雨漏りがする

親心である

 

明治生まれの父親は 慶応生まれのその父親に

とんでもない名前をつけられた

「知事王(ちじお)」

(因みに 父の兄は久四郎 弟は岩王と慶喜)

生涯 いまいましかったんやないか と思うが

本当のところはわからない 案外気に入ってたか

そのためかどうか 息子の名前には念を入れた

字画数はもちろん 各種姓名判断

八卦見 手相見 昭和天皇裕仁

息子は 試験の度に

その親心を恨んだ

 

一九三五年 昭和十年 四月六日

満州国皇帝溥儀が初来日

昭和天皇は横浜駅頭に出迎え 皇居前で騎馬行列

生まれた日の新聞の一面トップである

同級生には 満(みつる)忠満 満佐子 満里子

試験で泣いたか もっと重いもので泣いたか

大陸で 殺したり 殺されたりの

靖国に 入れてもらったり もらわなかったりの

親がいっぱいいた

戦後六十数年経って そんな親の心を

みんなどこにしまいこんでいるのか

 

ぼやいているうちに もうトシである

いつ名前が変わってもおかしくない

であるが 坊主につけててこらうヤツは

カネがかかるし やめにした

ついでに 葬式も 墓に入るのもやめにして

大学病院地下の冷凍収納庫に

どさっとほうりこんでもらうことにした

もう試験もないし

あの世でもずっと俗名(ぞくみょう)でいよう

今頃 親心を思う不肖のセガレの

   心である             


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追いかけていた

とうの昔に消してしまった

と思っていた

落葉松の林

なだらかな傾斜の牧草地

繁る水草の間を縫って流れる小川

そして 

青い色と匂いがいっぱいの中にいた人

 

きれいさっぱり忘れてしまった

つもりでいた

ほんまち通りの

まむしのビンが怖かった薬屋

淡彩の帯がひっそりと飾られた呉服屋

そして

下駄の音だけが聞こえた静かな その街にいた人

 

いつも どこでも 追いかけていた

と気がついた

小さな無人の

駅のベンチに ポツンとひとり腰掛けて 

遠くかすんだ時間をのぞいたとき

ここで

旅立ちを送ってくれた人と景色と煙る汽車を

 

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泣きたい休日

土曜日 小さな子供を連れたパパたちが

スーパーのゲームコーナーで奮闘している

 

コインを入れて 人気の動物キャラクターを

フォークリフトで吊り上げると もらえるのだ

一人の若いパパが さっきから額に汗にじませ

リフトを上下左右に操作して

お目当てのミッキーマウスをつかもうとする

なんとかつかんでも リフトを上げ始めると

スルリと落っこちる

 

周りで見ている方が落胆のため息

どうやらそれでおしまいらしい 虎の子のコインで

神経を集中した最後のトライ

でもやっぱり 落ちてしまった

 

とたんに

パパのズボンの裾をつかんでいた四歳くらいの男の子が

ワッと泣き出した

 

ウーン 悪かったけどな パパだって泣きたいんだ

なんだかこのところ 仕事がうまくいかないし

成績が上がらない 課長は渋い顔だし

部長はオレと顔が会うとソッポを向く

第三次だか四次だか

またリストラの噂もある

かあちゃんのお腹も大きいし

 

日に日に

舟底の板の継ぎ目から

水がじわじわと浸み込んでくる気がする

でも とにかく 毎日踏ん張って

あちこち ぼろぎれを詰めてまわっているんだ

かあちゃんも おまえもいるし

次のまた坊主(らしい)も生まれてくる

そんなときに こんなに泣かれると

いっぺんに 舟底に大きな穴があいて 沈んでしまう

 

あっちで うまく吊り上げた親子がいて

ニコニコ顔で帰っていくけど

またあした かあちゃんにもう一度

小遣いもらってきて 頑張ってみるから

もう泣かないでくれるか

 

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烏 賊

その頃 ずっと

重くのしかかってくるものがあった

 

JRの線路脇 金網越しに 

夜 黒々と静かに走る貨物列車を見た

ちょうど目の高さの線路の上で

重い車輪が

滑っているようで 止まっているようで

 

線路の上に 白いものが貼り付いていた

小さな烏賊のように見えた

うんと重いものの下で 

ぺしゃんこの のしいかになって 

楽になって

 

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老 春

しだれ桜が垂れている

柳の枝が垂れている

秋の田んぼで

稔るほど頭が垂れてくる稲穂のように

ではなくて

春の盛りに 縁側で

アタマががくんと前に垂れている

鼻ちょうちんまで垂れている

アタマの中身はどうしたかというと

これまたドロリと垂れ流れて

地面を這っている

 

えんどうと蔓バラの支柱を引っこ抜いて

あてがったり

天神さんから梅のひと枝を失敬して

灰にして飲ませてみたりしたのだが

まむしにすっぽん いもりの黒焼きも

試してみたのだが

 

さっぱり効き目がなくて やっぱり垂れている

低い方へドロリと垂れて まだ先に伸びている

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抱える

赤字路線の列車の 四人掛け優先席に

若いサラリーマン一人と中年のオバサン二人が

乗っている

甘夏十個を 二つのレジ袋に分けて持つ

オバサンAが 隣の席にどんと甘夏を座らせている

 

次の駅で二人連れのおばあさんが乗り込んできた

甘夏が置いてある席をちらっと見ている

気の弱そうな ナップザックだけの

通路側にいるオバサンBが

もじもじしたあげく「どうぞ」と言って立った

「いえ あなた そんな」おばあさん二人が

驚いて辞退している

オバサンAも しぶしぶ甘夏を膝に乗せた

「ここは優先座席やなあ」と言いつつ

自身は立つ気がない

 

一番先に乗っていた窓側のサラリーマンが

その声に弾かれて 慌てて立ち

下向いて 車両の奥へ逃げる

あばあさん二人と

立とうとしたオバサンB

三人のためらいの中腰と謝辞が

サラリーマンの背中を追いかけた

 

オバサンAが 

おばあさん二人に自慢している

「一個五十円や お値打ちやったで

ええ匂いがプンプンするやろ」

「この人 重いから言うて買い損ねたんや」

オバサンBをアゴで指して 屈託がない

 

聞き役の三人の女と 席立った若い男だって

それぞれ抱えているものがある

金策に走りまわる零細工場の夫

離婚した一人息子

ボケが始まった連れ合い

営業課長の冷たい視線

 

甘夏オバサンの甘夏より

もうちょっと酸っぱくて重いもの

 

座ったり 立ったり 

長いこと聞いたことがなかった

感謝の言葉にまごついたり

甘夏の匂いを嗅がされたり

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快 投

一九九三年九月二日 木曜日

ナゴヤ球場の首位攻防直接対決

ヤクルト・中日二十二回戦は

両者計四十人が出る白熱の総力戦

二対二の延長で 十五回裏を迎えた

 

二連敗で首位を奪われたヤクルトスワローズは

三タテ回避へ 荒木 山田 高津とつなぎ

時間切れの最終回になるこの回に

四、五人目を投入したが ヒットと四球で

アッという間に無死満塁 しかもクリンナップにまわる 

という最悪の事態になった

 

午後十一時を過ぎ 腰を上げかけた三万人がどよめいた

古田が茫然と三塁側ベンチを見る

「もうアカン と腹をくくった」野村監督が

六人目の投手を告げる

地元 愛知豊川高校出身の内藤尚行

先発の柱として開幕投手二回 

クローザーとして活躍した年もあったが

当期は故障がちで殆ど出番がなく

この三連戦で 最後にベンチに残っていた投手だった

安打、四死球は勿論 外飛もだめ 暴投でも終わり

「神経の糸が一球毎に削りとられていく中で

内藤は投げ続け(朝日新聞)」た

 

当たっているA.パウエルはインハイの直球で空振りK

気合が乗る落合博満はフォークを見逃して天を仰ぐ

あと一人

鋭い振りの五番 彦野利勝が右に左にファウルで粘る

七球目 一八八センチの長身からの渾身のストレート

真ん中低めに決まって まさかの三者三振

ヤクルトはクビの皮一枚で引き分け 二位ながらゼロ差を死守

四時間五十六分の死闘が終わった

 

大観衆から もう一度 

怒号 悲鳴 嘆声がコミになった大きなどよめきが起こった

「自分でも何が何だかわからなかった」という内藤に

まるで優勝の瞬間ででもあるかのように

ナインが抱きついた

この日以降 中日は迷走し 

一方ヤクルトは残り三十二試合を快調にとばして優勝した

 

これより七年前 一九八六年十一月のドラフト三巡目

夏の県予選は二回戦負け 本人もまさかと思った指名

一位は近大西岡 二位土橋 四位飯田

 

某都銀豊橋支店のぐうたら支店長とのんびり行員は

どうしたわけか 信じがたいが

契約金の取り込みに成功した

 

「どの程度やれるかわかりませんが 

末永く応援してやってください」 

謙虚な父親と 純朴の十七歳が小切手を差し出した

 

ぐうたら支店長は おかげで 

子会社窓際への転出が一年延びた

今は「ジャオス内藤」とかいうタレントらしいが

現役引退まで 支店長は長くファンクラブの一員だった

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離したらいかんかった

銃も手榴弾も持たない 洞窟の村民たちは

自決のために火を焚いた

棒切れと衣類が燃え上がり

煙が充満してくる中 燃えて 煙を吸って

次々と息絶えていく人たち

怖くなんかなかった ただ羨ましかった

でも 死にきれんでの

どうせなら 穴を出て撃たれて死のうと竹槍をかかえ

長男を着衣の裾につかまらせて 洞窟から走り出た

 

とたんに至近弾が炸裂 一瞬 意識がなくなり

気がついたら 裾につかまっていたはずの子がいない

血だらけの顔で わめいて 走って

夢中で 米兵の懐中電灯を奪い

(どういうふうに奪ったのか記憶がない)

洞窟にとってかえした

洞窟は既に猛煙を吐く煙突

入り口で倒れて そのまま気を失った

 

誰にも ひとことも言わずに

歳を重ねて生きてきた 沖縄のおばあが

ひ孫を身ごもる孫娘の前で はじめて ポツリポツリ

 

大阪の空襲で 親とはぐれながら

翌々日 焼け跡で運よく探し当てられ

古稀まで生きてきた老人は 

この沖縄の不運な長男と同年

あの洞窟から走り出たとき

たとえ 目に火や鉄片が飛び込んだのだったとしても

母親のモンペをつかんだ手を

離したらいかんかった

読谷村(よみたんそん)の同い年の少年よ

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伝言は届いた

「西京節子 新川場町 西京一夫の長女本校一年生

生死不明 左記にオ知ラセ下サイ

市内尾長町片河十一組 掛川浅雄方(母あり)」

 

爆心地から四百六十メートル

広島市袋町小学校の「壁の伝言」のひとつ

五十四年後の建て替え ポロリと剥がれた

壁の裏から 何か文字らしいものの跡が

惨禍の中の多くの人たちの悲しみの跡が

新たに見つかった

 

午前八時十五分 朝礼時の校庭 

ほぼ全員が一瞬に のはずが

ピカの直後に 子供を捜しにきた同級生の親から

「校庭に立つ節子ちゃんを見た」と聞いた

探索に奔走し伝言を書いた 義理の叔父浅雄さんも

被爆重傷の母も 結局 何の情報も得られないまま

沈黙のうちに逝った今

五十四年後 亡霊のように現れた伝言は

誰にも 何の意味ももたないように思われた

 

しかし 伝言の発見までの究明に力を尽くし 

その縁者の追跡に駆け回った戦後生まれの

若いジャーナリストが 遂に

節子さんの妹と 姉妹の叔母で浅雄さんの妻の

二人を探し出し 半世紀前の文字と対面させた

 

「ああ とうとうお姉さんに出会えたのう」

「まあ 大きな字じゃ 字を書くのが苦手の主人が

 一生懸命書いとる 主人の人間ちゅうもんを

あらためて見直させてもろうた」

高齢の二人の顔がぐしょぐしょになった

 

二人がかかえてきた心の奥の闇に 届いたのだ

あの日の重いメッセージが きちんと

 

彼女らの傍らで 

己の仕事の意味をかみしめることができた若者の顔にも

熱いものが流れた

 

幸運にも「ヒロシマ」になるのは免れた大阪の

工場街の空襲で 親とはぐれて火の中を逃げ

生き延びた老人は 何度も来た広島なのに

今夏初めて訪れた壁の伝言の現場で

ビルの谷間の小さな校庭を眺めながら

凄惨な戦火の日々と

これまで信用したことがなかったケイタイ世代の

若いもんの仕事を想い ポロリと涙した

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診 断


焼夷弾がヒュルヒュル降ってきて家が焼け
爆弾がドカンと落ちてきて 工場の脇に
大きなすり鉢の穴ができた
雨が降って 水が溜まった

 
「水が溜まっている」と脳外科の医者が言う
MRIの写真十二枚 ペタペタ壁に貼って
「脳細胞が痩せてきている」
「血管も少し詰まっている」

 
痩せて寸詰まりの子供らが
すり鉢池の蛙やザリガニを捕まえた
芋づる ふすま粉 イナゴっ腹で
何でも食べるものに見えて

 
「食べたもの 憶えてますか 昨晩の」
「左の頭頂部が痛みますか」
「吐き気がありますか」
「右手が痺れますか」

 
左手が痺れた
すり鉢池を埋め立てた原っぱの草野球
ラムネ玉のぼろぎれ巻きボールを
ペラペラ布製グラブでキャッチする度に

 
「このへんがペラペラなんですか」
「そうですな」
「どんどん忘れっぽくなりますか」
「そうですな」
「親父や兄貴たちが
遠い外国で どんどん死んで
空襲でおふくろたちが死んで
ガード下に浮浪児がいっぱい居て・・」
「戦争というものが しんから怖かったこと
みんな忘れますか」
「そうですな そのうちぼやけますな」
「さあ どないしたろ」
「吐くんですな 消化の悪いものは
吐いてしまうんですな 今のうちに」


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..
紙吹雪
 

春 連絡船に列車地下鉄 乗り継いで

四国から大阪の天王寺にやってきた

もうウン十年も前のこと
ウンと時間がかかった
はるばる来たーぜオオサカ
更に南へ路面電車
小さな駅で降りて 地図を頼りに探した
やっとそれらしい建物にたどりつく
ピカピカ新築の 鉄筋コンクリート五階建て
やれやれ 胸おどらせて 広い玄関口に立つ
ふと門標を見上げると うわあー
「M石油社員寮」と書いてある
びっくりして通り過ぎ
その広い敷地の角を曲がったら
お目当ての学生寮があった
古ぼけて傾きかけた 小さなおんぼろ木造二階建て
薄暗い入口の前に立つと
とたんに目の前も暗―くなって
思わず ドスンと手荷物を落とした
還暦をとっくに過ぎたカミさんの 昔語り

 
地方から 都会の女子大に入学したばっかり
学生寮に入れてもらったばっかり
西も東もわからない なんにもわけがわからない
一年生の女の子は 入学一ヶ月後
先輩たちにくっついてお迎えのバスに乗った
降ろされた難波の野球場前には 学生が溢れていた

 
一九六〇年 安保闘争の大阪
御堂筋でフランスデモ
府警本部前でジグザグデモ
市役所の前でサンドイッチデモをした
府庁前で座り込んで 機動隊と睨みあった
雨で 蒸し暑い日だった
ごつい楯とヘルメットの下から
若い顔を出した機動隊の兄ちゃんは
「今日はむちゃくちゃ暑いですねえ ぼくら
この装備の下は何も着てないのにこの汗ですよ」
同じ四国の出で 気軽に口がきけた
出身高校のことやら 怖い上司 難しい講義
好きな食べ物のことなど 話をした

 
田舎から大事に抱えてきた鞄に
ぎっしり詰まっていた
「学問」と「花の都会の生活」への
畏敬と憧憬は 跡形もなくしぼんで
すぐに空っぽになった

 
ちょっと中学のセンセイして
それから 姉妹が四人もいて親の気持ちがわかるから
頼りなさそうなビンボー銀行員と
早めにエイヤッと見合い結婚
しゅうとめ十年 しゅうと八年の介護
喘息息子の救急センターかつぎこみ数知れず
十何回かの転勤の荷造りに追われ
社宅の陰湿なイジメに耐えて
本通りからずいぶん離れた
細くてややこしい裏通りを ジグザグに歩いて
ときどき派手に転んで ねじれて 痛い ほろ苦い
身をすり減らすだけの人生送ってきた
なんにもいいことなかった

 
あの年の五月
国会で 条約の強行採決があって
無数の フツーの人たちの かまどから
反戦 反政府 反米の蒸気が
一気に吹き上がった
翌六月
アイゼンハワーの露払いに飛んできたハガチーが
羽田空港のデモの渦の中 海兵隊のヘリで脱出
議事堂前で 樺美智子が圧死した

 
あのときの あの ウンと若いときの
広い御堂筋をぎっしり埋め尽くした
何度目かのデモでは
両側の高層ビルの会社の 窓という窓から
頑張れコールのすさまじい地鳴り 怒号 どよめき
そして 色鮮やかな きれいな紙吹雪が
きらきらと輝き 舞いながら いっぱい落ちてきた
それは からだの中にも 散りひろがって 燃えた

 
学生だけでなかった 職人もサラリーマンも
消防士も自営業のおっちゃんも
鯛も鰹も ひらめもかれいも
とにかくみんな一斉に 同じ方向へ
大きなかたまりになって動いた年だった
不思議な連帯感
デモの学生も 機動隊の兄ちゃんも
みんな若くて 熱かった

 
すべてはもうずうーっと昔のこと
今は
宝くじを当てて マンション買って
鬱陶しい亭主におさらばして
うまいもん食べて ひとりで旅行して
ややこしいこの世を早めに退散して
と思ってる

 
カミさんは 今日もひとり キッチンで
ウンと若かった頃の夢の束と ハズレくじの束を
一緒にこ細かく切り刻んで 目の高さにかざし
流しの上に散らしている
色鮮やかな きれいな紙吹雪 

        (了)

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