御香宮神社地図

祭神 神功皇后
 豊臣秀吉が伏見城を築くが、徳川の天下になると壊され、建物の一部が各神社に、徳川家康と
頼宣・頼房父子が寄進した。
 本殿(重文)は慶長10年(1605)造営。流造・檜皮葺で、極彩色の彫刻などは、桃山建築の特色を
表わしている。朱塗りの柱に龍が舞い、板壁に麒麟が踊る。
 拝殿は伏見城の車寄せを、表門は水戸黄門の父・頼房が拝領した伏見城大手門を寄進した。

 伏見城は30年間続いたが、その間3回建替えられた。
  指月期、木幡山(桃山)期、家康期
絵馬堂 表門(重文)
旧伏見城の大手門と伝えられている。
 幕末新政府軍と幕府軍が衝突した戊辰戦争「鳥羽・伏見の戦い(1868)」では、
新政府軍・薩摩藩の屯所となったが、境内は兵火を免れた。
 社伝によれば、貞観4年(862)境内から清泉が涌き出て、香気が漂い、その水を飲むとたちまち病が癒えたので、清和天皇から「御香宮(ごこうぐう)」を賜った。
 以後、伏見の産土神として人々の信仰を集めたが、度々の兵乱や天災により荒廃した。文禄年間(1592〜96)豊臣秀吉は、当社を伏見城内に移し、鬼門の守護神としたが、慶長10年(1605)徳川家康により旧地である当地に戻され、現在の本殿(重文)が建立された。表門(重文)は、旧伏見城の大手門と伝えられている。
 水は明治以降枯れたが、昭和57年(1982)に本殿東側を約150m掘ったところ、水が湧き出た。「伏見の御名水」として
「全国名水百選」に選ばれた。
 平安時代に「御室神社」と呼ばれたとの説があるが、「御香水(ごこうすい)」は、神社の名の由来となった。