御蔭神社地図

御蔭の御生神事(みあれしんじ)の神地
 当神社は、賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)御祭神の荒御魂(あらみたま・御生されたばかりの御神霊)を祀祭する摂社である。毎年、4月午(うま)の日(旧暦)、御生神事が行われていた。起源は、綏靖天皇 の御代(BC581)に始まるとの所伝がある。平安時代の右大臣、藤原実資の日記「小右記」寛仁2年(1018)11月25日の条りに「鴨皇大御神、天降り給ふ。小野里、大原、御蔭山なり。」とあるところから、古くからこの神地を「御蔭山」呼ばれていた。
 鎌倉時代の公卿、勘解由小路兼仲の日記「勘仲記(かんちゅうき)」弘安7年(1286)4月12日の条りに午の日の神事、御荒(みあれ)という。社司や氏人が斎(いみ)たすきかえて神歌を唱へながら供奉す。とあり、古代の御生神事の様子を伝えている。その他の史料にも最古の神事として数多の記述をみる。
 現在なおかわりなく、5月12日、午の刻に神事が斉行され、荒御魂を本宮へお迎えされている。また、毎月2日には、社参(しゃさん)と称し奉幣(ほうべい)がおこなわれる。
  
  
 この社地は、太古鴨の大神が降臨された所と伝えられているところから御生山と呼ばれており、東山三十六峰第二番目の山である。
 さらにまた、太陽のただ射すところ、即ち、御蔭山とも呼ばれそれに因んので社名となった。
 御祭神は、御本宮賀茂御祖神社の御祭神の玉依媛命、賀茂建角身命、二柱の荒魂を奉祀されている。
 現在の社殿は、元禄6年(1693)、御本宮式年遷宮の際に造替された。
 それまでは、現在の本殿北東の麓に鎮座されてきたが、地震等の災害に依って殿舎が埋没したため現在の地に御動座になった。
 天武天皇6年(677)、山背国司が造営したと伝えられる賀茂神宮は、当神社であろうとの説がある通りこの地は古代から北部豪族の祭祀の中心地であり、近隣には数々の遺跡が存在する。
 毎年、賀茂祭(葵祭)に先だって5月12日には、御蔭祭(御生神事)が当神社で行われる。当日は、神馬に錦蓋を飾り、神鈴を付け、鉾、太刀、弓、盾などのご神宝を捧げ持ち、社殿には阿礼(あれ)を掛ける。
数多くの供奉者は葵、桂をかざし、本宮を進発した化粧は、この社に到着する。社前において、午の刻、御神霊は神馬に移御になり、御本宮に遷御になる。途中、総社における路次祭、御本宮切芝の神事等が行われる。
 朝廷からは、阿礼料や幣が奉献されるなど鴨社創祀の祭とされてきた。
また、神馬の御神前で行われる三台塩(三代詠)を中心とする神事芸能は、わが国最古の祭儀式を伝えるものとされ、行粧もまた最古の神事列と伝えられており、葵祭と並らぶ優雅な行粧として名高く、室町時代に入ると数々の史料に登場する。
 現今、道中は交通繁雑のため、やむなく自動車列となったが、当神社、並びに御本宮糺の森での神事は、古儀に依って厳粛に行われている。