境内 本堂
大日如来を中心に十一面観世音菩薩
愛染明王毘沙門天が祀られている。
鐘楼
 護摩堂から三重塔を見る。
 総桧造りで、
三十三回忌本尊の虚空菩薩が祀られている。
護摩堂
 中央に不動明王、左に弘法大師、右に聖観世音菩薩が祀られている。

聖徳太子は、生母の里にあるこの山が大層気に入って、伽藍を建て、仏教弘通の道場として鏑矢を奉納、鏑射寺と命名した。
この道場の四方に広がる三田市は、その名も三福田(敬田、恩田、悲田)に由来している。

その後弘法大師は境内に独鈷水の井戸を掘り、百丈岩には穿仏岩の足跡を残している。

戦火や山火事にあったが、1862年(文久2年)の勇阿上人による再建で、山内にある「西国33ヶ所」「四国八十八ヶ所」の石仏は当時造営されている。

1873年(明治6年)天誅組と称する不逞藩士が神社仏閣を焼き払った。その後廃寺となった。

1955年(昭和30年)久爾宮朝融殿下が、道なき所を登り、生い茂る草をかきわけて参拝、鏑射寺の再建を祈った。

1959年(昭和34年)、現在の住職が入山、祈願に入り、1966年(昭和41年)に護摩堂(不動明王)、1973年(昭和48年)には三重塔(虚空蔵菩薩)、1978年(昭和53年)函館に別院(不動明王)が建立された。

1992年(平成4年)に大日如来を奉迎して、本堂の落慶入仏と法要を行い、1994年(平成6年)には弁天堂の落慶法要が行われた。