日本武尊
日本書紀で日本武尊を古事記では倭建命と書きますが、この倭は大和平野の一地名の倭ではなく、倭国全体を意味するので、それが、書紀編纂の時には日本にかわったのも、この時期の国内統一として大きな意味がある。 誕生間もない大和朝廷によって、全国各地に派遣された農業指導者たちの活躍の記憶が、一人の英雄神話として昇華されたものなのだろう。それは、ちょうど弥生から古墳時代への移行期だったと考えられるが、そういう意味で、日本武尊は何人もいた、ということになる。つまり、日本武尊というのは固有名詞ではなく、「大和の猛(たける)の男(おのこ)」という意味の普通名詞であり、このヒーローの伝説を通して、当時の社会に農業が普及していった過程を読み取る事ができる。 倭建命⇒ |