龍源院(大徳寺塔頭)地図
方丈の南庭にある、一枝担(いっしだん) 実伝和尚の室号「霊山一枝之軒」よりその名がある。 一枝担にはかって山茶花の老木があったが、昭和55年に枯れた。 そこで枯山水石庭が作られた。 これは蓬莱山形式の庭園で、蓬莱山は不老長寿の仙人が住む吉祥の島である。 庭の中央右より巨石と石組が蓬莱山を現し、右隅の石組が鶴島、 円い苔山が亀島で白砂は大海を表し、 雑物一ツもないこの作庭は古風ななかにも現代調をむりなくとりいれられた石庭である。 |
東滴壺(とうてきこ) 日本最小の石庭で、つぼ庭として珍しく、格調高く有名な庭である。一滴潺々碧水煙る。と古人も詠っている。谷間にぽとぽとと滴り落ちる水玉が集まり集まって谷川となり大河となりそして洋々と涯しない大海原となる。塵も積もれば山となるの喩の通りである。庭の右側に平たい一枚の板石が置かれ、円い波紋が画かれているのがこの庭の主眼である。別の見方をするば、飛び込んだ力で浮かぶ蛙哉と、その飛び込む力が大きければ大きい程底深くぶつかって、その勢いで又浮かんで来る。何事をなすにも小さな自己を捨て思い切ってぶつかれば必ず成就すると、この石庭は物語っている。 現代壺庭として名高い。 |
檜皮葺の方丈は創建当時のもので、 室町時代の建築様式を伝える貴重な建物。 中央南が室中 |
開祖堂 |
本院は大徳寺南派の本庵で、文亀2年(1502)大燈国師8世の法孫東渓宗牧を開山として、能登守護畠山義元九州都総督大伴義長が創建したものである。 方丈・唐門・表門はいずれも創建当初の建物で、大徳寺山内最古の建物であり、禅宗方丈の典型的な形式を示している。 本尊釈迦如来像は建長2年(1250)行心の作で、以上いずれも重文に指定されている。そのほか、方丈襖絵に室町時代等春筆「列仙の図」がある。庭園は各様式からなり、特に方丈北庭は室町時代相阿弥作と伝えられる須弥山式枯山水の名園で、方丈東庭は珍しい壺石庭で有名である。また、開祖堂前にはもと大宮御所にあった桃山型石燈籠があり、さらに聚楽第の礎石を配した阿吽の石庭等もある。 寺宝には、豊臣秀吉、徳川家康が対局した四方蒔絵の碁盤、天正11年(1583)在銘の種子島銃などがある。 |
竜吟庭 |