2、上賀茂神社の神様が降りられたと言われる神山 をかたちどった降臨石(こうりんせき) 3、平安時代の宮中行事曲水の宴を行う 4、神官が身を清めた井戸 社家⇒ |
曲水川のある庭、Dから北側に向かって。 |
奥庭、上の図のE。 | 川の清潔を保つために、 米のとぎ汁は別に作られた囲いのある穴に流し、 沈殿さす。上の図Dから南側。 |
上賀茂神社のならの小川から流れきた水は、明神川に流れ、 この川に沿って神官の屋敷社家が続く。 上賀茂神社から大田神社に向かう通りにある。 |
壁は得も言われぬ上品な色合いで仕上 げられている。 |
|
||||||
江戸時代、上賀茂神社の社領は二千五百石余と言われ、この大きな社領を背負った神官達が明神川の流れに沿った社前に家を構えたのが社家町である。 この錦部(にしごり)家の旧宅(現在は西村家別宅邸)は、現存する社家の中では最も昔の面影をとどめる庭園が残っている。 庭園へは明神川の水を取り入れ、曲水の宴のための小川(曲水川)の水としたあと、もとの明神川へ返す工夫がされている。また、神事の前の身を清めたゆかりの井戸、さらに神山(こうやま・上賀茂神社のご神体山)の降臨石を形取った石組などが残っており、神官達の昔の生活がしのばれる。 |