第115代 桜町天皇(さくらまち)地図

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中御門天皇(第一皇子)
新中和門院藤原尚子(近衛家煕の娘)
誕生 …1720年(享保5年)1.
御名・異称 昭仁(テルヒト)、若宮
中宮 二条舎子 女院 姉小路定子
立太子 …1728年(享保6年)6.11
即位 …1735年(享保20年)3.21
在位年数 …12年
崩御 …1750年(寛延3年)4.23(年齢31才)
皇居 平安宮
年号 享保、元文、寛保、延享
5才で読書始めを行い、天子の学問を習得した。
孝心が深く、中御門天皇の七回忌には、懺法講(センポウコウ・罪滅ぼしと海士町を悔いる)を七日間清涼殿で行い、11日の中御門天皇の命日には追善のため、紫紙に金泥で般若心経を書写されて仁和寺に納められている。
「翁草」によれば、天皇は聖徳太子との共通点が多く、太子の再来ではないかと当時噂された。
在位中将軍吉宗の協力も得つつ朝廷の儀式を復興することに心血を注ぎ、一度再興されてまもなく中断された大嘗祭を再び復活させるなど朝廷の威信回復に腐心した。
陵墓名 月輪陵    九重塔
所在地 京都市東山区泉涌寺内
25陵5墓9基の一つである。
兆域南側に位置し、石塔は九重で西面する。高さは5.27m、基壇は方6.58mの規模で、石柵をめぐらされている。