第57代 陽成天皇(ようぜい)地図

清和天皇(第一皇子)
藤原高子(こうし)(藤原長良(ながら)の娘)
誕生 …868年(貞観10年)12.16
御名・異称 貞明(サダアキラ)
皇妃 姉子女王
立太子 …869年(貞観11年)2.
即位 …876年(貞観18年)11.29
在位年数 …9年
崩御 …949年(天歴3年)9.29 (年齢82才)
皇居 平安宮
年号 (じょう)(がん)元慶(がんぎょう)
母の兄左大臣藤原基経が摂政として政務に携わった。
陽成天皇の行状は、宮中に牛30頭を飼ったり、闘犬を好み、三種の神器の宝剣を抜いたりなど内裏における乱行が著しかった。藤原基経が天皇を譲位させ世間の非難を逃れた。
譲位後は陽成院といわれたが、乱行は続いた。晩年には比叡山に登った。
源頼朝など源氏武士の祖は清和源氏といわれているが、実は陽成源氏と考えられている。源氏に傷がつくのを恐れた河内源氏一族が捏造したと考えられている。
冷泉院において崩御、遺体を円覚寺に移し、神楽丘東陵に奉葬、陽成院と追号された。
陵墓名 (かぐ)()(おかの)(ひがしの)(みささぎ)      八角墳
所在地 京都市左京区浄土寺真如町小山
兆域は周囲約150mで、東面を長い方形に囲み、中央のやや北寄りに高さ約3mの小円墳があり、空隍がある。1864年(元治元年)に修治された。その後元禄年間の所在検討においても所在が判明せず、寛永年間に近くに真如堂、その北に4軒寺が建てられ、周囲に民間が建ち並ぶ結果となった。
「山陵私記」には、神楽岡の東斜面の中腹にある菩提樹院陵となされているものの一つで、真如堂門前の民家の裏の竹林の中にある小丘の古墳が治定されることになったと記載されている。
「山稜図考」は神楽岡の東北の水田中にある塚廻りと称される古墳を充てている。
「山稜志」は冷泉天皇陵と考察している。