第79代 六條天皇(ろくじょう)地図

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父 … 二条天皇(第二皇子)
母
… 伊(い)岐(き)育子(いくこ)(伊岐兼(けん)盛(もり)の娘)
誕生 …1164年(長寛(ちょうかん)2年)11.14
御名・異称 … 順(のぶ)仁(ひと)  皇后 … ―――
立太子 … ――― 
即位 …1165年(永万元年)6.25
在位年数 … 3年
崩御 …1176年(安元2年)7.17(年齢13才)
皇居 … 平安宮  年号 … 永(えい)万(まん)、仁安(にんあん)
○ 二条天皇が病弱であったことから、2才で即位した。そのため政務はもっぱら後白河上皇の手に委ねられた。藤原基実が摂政となったが、基実亡きあとは藤原基房が後をついだ。
○ 平氏の権勢を背景とする後白河院政が支配的で、上皇の皇子憲(のり)仁(ひと)親王が立太子した。天皇は5才で早くも退位し憲仁親王に譲位した。
○ 天皇の治世で特徴的なのは宗教界の混迷である。二条天皇の葬儀において興福寺と延暦寺とが席次をめぐって争った。それ以降も両寺の争いは続き、延暦寺の訴えによって、興福寺の別当が罷免されている。又、興福寺の僧徒らが天台座主俊円の流罪を強訴した。天台座主をめぐって延暦寺内部で抗争が激化した。
陵墓名 … 清(せい)閑(かん)寺(じの)陵(みささぎ)     円墳
所在地 … 京都市東山区清閑寺歌ノ中山町
○ 御陵は土塀をめぐらし南西中央に瓦葺きの平唐門を配する。この中に石鳥居があり、後背に小円墳がある。
○ 崩御後清閑寺の山堂に奉葬したとあるが、元禄の検討でも判明せず、清閑寺本堂の要石を充て、この地に考定され、1863年(文久3年)高倉天皇とともに修治された。