第81代 安徳天皇(あんとく)地図

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高倉天皇(第一皇子) 
(とく)()(建礼門院)
誕生 …1178年(治承2年)11.12
御名・異称 (とき)(ひと)   皇后 … ――― 
立太子 …1178年(治承2年)12.15
即位 …1180年(治承4年)2.21
在位年数 …5年 
崩御 …1185年(寿永4年)3.24(年齢8才)
皇居…福原宮、平安宮   年号…治承、養和、寿永

天皇はあまりにも幼いため、女御などの入内もなく、皇女もない。実際の政治をみるため摂政が必要とされ、藤原基通が任じられた。天皇は1180年(治承4年)に福原へ行幸し、同時に遷都した。しかし、まもなく京都へ帰還した。
1183年(寿永2年)、()()伽羅(から)(とうげ)で平家は木曽義仲に惨敗し、後白河法皇と安徳天皇を奉じて都落ちを計るが、法皇はいち早く比叡山に逃れ、平家一門と行動をともにしなかった。ついで法皇は後鳥羽天皇を即位させた。
 京都で狼藉を働いた義仲を討って勢いづく義経は、後白河法皇の院宣に従って、一ノ谷、屋島と平家を敗り、さらに壇ノ浦で平家を敗った。ついに幼い安徳天皇は平家一門と壇ノ浦で清盛の妻二位尼(時子(ときこ))に抱かれて入水、崩御した。

 
陵墓名 阿弥陀寺(あみだじの)(みささぎ)   円墳 
所在地 山口県下関市阿弥陀寺町

入水崩御のため遺体行方不明となり、御陵と伝えるものが複数存在し、その一つに王居止陵で、山口県豊浦郡豊田町地吉にあり、「安徳天皇陵墓参考地」とされている。前方後円形で、全長約140mの規模である。また、鳥取県にある岡益の石堂、高知県にある鞠カ奈呂陵墓参考地、長崎県、熊本県、大阪府などにも参考地がある。

1191年(建久2年)に長門国に命じて崩御の地に一堂を建てて冥福を祈らせた。この堂を阿弥陀寺と号し、1875年(明治8年)に寺を廃して、小祠を起こして赤間宮と称されたが、1889年(明治22年)に旧帝廟址に御陵を営んだ。現在の阿弥陀寺陵である。

阿弥陀寺は本堂・鐘楼等を備える。本堂西側の一面に、塀で囲まれた天皇殿がある。天皇殿は、御影堂と称し、東面する単層入母屋造の8間半×4間の規模である。殿内には宸影が奉安され、地下2尺方3.5尺の石で囲んだ施設に小五輪などを置いているといわれる。

安徳天皇と6つの御陵⇒⇒⇒