第87代 四條天皇(しじょう)地図

泉涌寺⇒⇒⇒
後堀河天皇(第一皇子)
藤原竴子(そんし)(九条道家(みちいえ)の娘)
誕生 …1231年((かん)()3年)2.12
御名・異称 秀人(ミツヒト)
女御 九条彦子
立太子 …1231年(寛喜3年)10.28
即位…1232年(貞永元年)10.
在位年数 …11年
崩御 …1242年(仁治3年)1.9(年齢12才)
皇居 平安宮
年号 (じょう)(えい)(てん)(ぷく)(ぶん)(りゃく)()(てい)(れき)(にん)(えん)(おう)(にん)()
後堀河天皇の譲りを受け、鎌倉幕府の反対を退けてわずかに2才で即位した。
母方の九条道家や西園寺公経らが事実上政治を動かし権勢をふるった。
11才で元服するとまもなく、九条教実の娘彦子を女御に迎えたが、12才で事故がもとで崩御したとされている。「百練抄」や「口中記」によると、おもしろ半分に、滑石の粉を廊下に塗り、女官の転倒するところを見ようとして、自分が転び、打ち所が悪く崩じた。跡継ぎがなかったので、皇位継承をめぐって物議が持ち上がった。朝廷側は順徳天皇の皇子・忠成王、幕府側は土御門天皇の皇子・邦仁王を擁立したが、結局邦仁王(後嵯峨天皇)になった。この争議を契機に、皇位継承者の選定権は幕府へと移行していった。


唐門
泉涌寺唐門の奥に霊明殿があり、その奥が月輪陵となる
陵墓名 (つき)(のわの)(みささぎ)    九重塔
所在地 京都市東山区今熊野泉山町泉涌寺内
西面する九層石塔で、高さ約4.3m、塔基は方2.3mの規模で、塔下は敷石で石柵をめぐらしている。
泉涌寺の霊明殿には四条天皇像や歴代天皇の御念持仏を奏祀されている。
後方丘上には四条天皇から121代孝明天皇に至るまで、皇室の御廟所・御菩提所となり、御寺泉涌寺といわれた。
四条天皇奉葬後、この陵地は340余年後の1586年(天正14年)に陽光院天皇(正親町天皇皇子・追尊天皇)がここに奉葬されてから、25陵・5灰塚・9基の多くの陵墓が営まれた。