第91代 後宇多天皇(ごうだ)地図

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亀山天皇(第二皇子)
京極院藤原佶子(きつし)(藤原(さね)()の娘)
誕生 …1267年(文永4年)12.
御名・異称 世仁(ヨヒト)・金剛性
女院 ?子(れいし)内親王・藤原忠子(ちゅうし)・堀河基子(きし)・瑞子女王
立太子 …1268年(文永5年)8.25
即位 …1274年(文永11年)
在位年数 …14年
崩御 …1324年(元享4年)(年齢58才)
皇居 平安宮
年号 文永(ぶんえい)(けん)()弘安(こうあん)
1307年(徳治2年)、後深草天皇の第三皇女で皇后の?子内親王(遊義門院)が奉じられ、落胆のあまり、落飾して金剛性と号した。
7才で書始、内外の典籍を修し、好学の天皇であったが皇后が崩じた後は、もっぱら密教の研究をした。書道に優れた才能を発揮し、大師流(弘法大師)を書いた。又、著書に「後宇多天皇記」等が伝わっている。さらに「続後拾遺集」等に御歌が収められている。
嵯峨大覚寺に住み、1324年(正中元年)6月25日大覚寺で崩御した。
陵墓名 蓮華(れんげ)峯寺(ぶじの)(みささぎ)  後宇多天皇以下二方及び三方分骨と合葬  法華堂内五輪塔所在地 京都市右京区北嵯峨浅原山町
先に、大覚寺境内の広沢池北方の山麓に、蓮華峯寺を創建、寺内に八角御堂を建立して、五輪塔を建て、四隅の塔に、父亀山天皇、母京極院、皇后遊義門院、皇子後二条天皇の分骨を納め、堂内の中央の五輪塔を自分の陵と定めた。
現在は八角堂は廃絶し、四角の法華堂に変わっている。 法華堂内の五輪塔は高さ約2mである。
法華堂は木造3.6m四方、高さ3.3m瓦葺宝形造りで、周囲は透塀をめぐらしている。南面中央に瓦葺高麗門がある。大覚寺の奉記により荒廃もなく、伝わっている。1863年(文久3年)修補され、蓮華峯寺傍山陵と定め、のち蓮華峯寺陵と改めた。
東寺について