第98代 長慶天皇(ちょうけい)地図

第98代 (ちょう)(けい)天皇 
()村上(むらかみ)天皇(第一皇子)
嘉喜門院藤原勝子(しょうし)(近衛経忠の娘)
誕生 …1343年(康永2年・興国4年)
御名・異称 寛成・覚理・慶寿院 
皇后 … ―――
立太子 … ―――
即位 …1368年(応安(おうあん)元年・正平23年)3
在位年数 …15年
崩御 …1394年(応永元年)8.1(年齢52才)
皇居 住吉行宮地 
年号 (しょう)(へい)(けん)(とく)(ぶん)(ちゅう)(てん)(じゅ)(こう)()
長慶天皇は南朝が最も振るわない時に吉野で誕生され、父後村上天皇と賀名生に移り、戦乱とともに行宮も転々とされた。
南朝の衰退はもはや極度に進んでおり、皇室財政も逼迫して、即位の儀礼も行われた形跡がない。そのため天皇の在位をめぐっては古くから即位説と非即位説の両説が主張されてきた。皇統に正式に加えられるようになったのは、近代以降、大正末のことである。「耕運千首」奥書が発見され、八代国治により「長慶天皇御即位の研究」が発表されるに及んで、即位説が決定的となった。そしてついに1926年(大正15年)10月詔書の発布をもって長慶天皇の即位が確認され、正式に皇統に加えられることになった。
乱世にあっても、天皇は「仙源抄」を著したり、作歌に向かったりした。南北朝合一後、後亀山天皇が京都へ帰還したのに対して長慶上皇はこれに同行しなかった。
陵墓名 ()(がの)(ひがしの)(みささぎ)   円墳
所在地 京都市右京区嵯峨天竜寺角倉町
御陵地は嵯峨と推定されるのみで、治定についての史料は全くない。昭和初期に、その所在の調査研究がなされた結果、1944年(昭和19年)天竜寺角倉に嵯峨東陵として治定された。