日向大神宮地図

由緒
 当神宮は、第二十三代顕宗天皇の御代に筑紫日向の高千穂の峯の神蹟を移して創建

されたと伝えられています。天智天皇は、圭田を御寄進され、 鎮座の山を日御山(ひのみやま)と名

づけ給い、清和天皇は、日向宮の勅額を賜い、醍醐天皇は、延喜の制で宮幣社に列し

給いました。

 建武の戦乱中、新田義貞公は、戦勝を祈願され良馬と太刀一振を奉納されました。

応仁乱の兵火で社殿並に古記録は焼失しましたが、松坂村の農、松井藤左衛門によっ

て仮宮が造営され、禁中より修理料を賜わり社殿の再興が行われました。

 後陽成天皇は、内宮.外宮の御宸筆の額を賜いました慶長年間徳川家康公より

神領が加増され社殿の改造が行われました。後水尾天皇・中宮東福門院は、修理料・御神宝を賜い

中御門天皇は、享保十四年四月両本宮の修理に際し神祗官領卜部兼敬卿を奉幣の儀に遣わされました。

 後桃園天皇は、たびたび御代拝を遣わされ、毎年御紋付提燈を賜いました。寛政四年十二月女院御所
より御初穂奉献.
同六年九月泰礼門院及び女院御所中宮より同年十一月には内侍所よりそれぞれ御翠簾の
御寄進があり、文化六年十一月外
宮御遷宮、同七年五月内宮御遷宮に際し、光格天皇は、御神宝を御寄
進されました。

 その他、仙洞御所・青蓮院宮・聖護院宮・梶井宮,桂宮の御参拝・御初穂の御奉献・宝物の御寄進があり、
昭和四年十
月御大礼調度品が下付され、昭和十一年十月久迩宮は御参拝・御初穂を御奉献、
昭和十二年二月御献木を賜いました。

神徳
 天照大御神は、日大御神とも称えられ、伊弉諾尊・伊弉冉尊の御子神に坐し

ます。光あまねく六合を照し給い、八百萬神を率いて高天原を治め給い,初め

て五穀を田畑に殖え、また養蠶(ようさん)の道を始め給い、世界を御照覧(みそなわ)し給う神様であらせられます。

 多紀理毘賣命・寸島比賣命,多岐都比賣命は、宗像三神として住吉三神と同じく航海守護の神様であらせられます。

 天津彦火瓊瓊杵尊は、天照大御神の御孫にあたらせられ、天照大御神の御神勅を戴き、三種の神器をお承けになって、
群神を従えられ高千穂峯にお降りに
なり、天下を治められ、我が国の基礎をお建てになり、常に和を以って万民をお慈しみ
になられた神様であらせられます

 天之御中主神は、天地創造の神様であらせられます。

 境内の神社には、御神徳が高く、人々の生活に関係の深い神々がまつられ、家業繁栄・家内安全・旅行・交通安全・開

運・厄除・方除・芸能・緑結び・安産文学の守護神として広く信仰されていま

御祭神

内宮(上ノ本宮)

  天照大御神 多紀理毘賣命

  市寸島比賣命 多岐都比賣命

外宮(下ノ本宮)

  天津彦火瓊々杵尊

  天之御中主神

名勝

 京都最古の宮で、古くは日向宮・日向神社・栗田口神明宮,日岡神明宮とも称し、社殿は神明造で、内宮・外宮

が奉斉され「京の伊勢」として名高く、昔は、東海道を往来する旅人たちの道中の安全祈願や、伊勢神宮への代

参として多数参拝がありました。

また、神社の入口の一の鳥居のところが栗田口(京の七口の一つ)に当たり、弓屋・井筒屋・藤屋という

京では有名な茶屋があって、旅人たちの送り迎えが行われ大変賑わいました。周囲の山は神体山で、日御山

神明山(東山三十六峯の一山)と称し、神域には桧・杉・松の老樹が繁茂し、桜・つつじ・紅葉が多く深山幽谷にして、
四季は風光明媚の神
苑です。

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五ツ辻を経て向日大神宮⇒⇒⇒
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