那売佐神社地図

 主祭神 葦原醜男命 須勢理姫命 
 葦原醜男命は大国主命がまだ大穴牟遅神(おおあなむちのかみ)と呼ばれていた頃、素戔嗚命のいる根の堅州国(かたすくに)へ逃げ込んだとき、
素戔嗚尊が口にした葦原色許男(あしはらのしこお=葦原醜男)と同一神である。
 当地では、須勢理姫命は高倉山がある里の、岩坪で誕生したと伝えられている。
 二人が仲睦まじく岩坪の宮殿で暮らしていたある日、社前の渓流が岩苔の上を滑らかに流れているのを見て、「滑(なめ)し磐石(いわ)なるかも」と
言った。「なめしいわ」が「なめさ」となり、この地方の「滑狭郷(なめさのさと)」の由来となった。 






仁摩サンドミュージアム地図

時を「刻む」というより、「紡ぐ」と言うべきか。砂がまるで糸

のように切れ目なく落ちていく。

ピラミッドの形をしたガラス張りの屋根に囲まれた、ひょうたん形

の巨大な砂時計。島根県大田市の砂の博物館「仁摩サンドミュージ

アム」にある1年計「砂暦(すなごよみ)」だ。

全長5.2m、直径1m。1トンの砂が直径0.84mmのノズルを通

り、1秒に0 . 032gずつ1年かけて落ちる。

同市仁摩町には、石英質の砂多く含み、歩くと「キュッ、キュ

ッ」と音がする日本三大鳴き砂(鳴り砂)浜のひとつ「琴ケ浜」

がある。砂?は1991年、ふるさと創生事業の一環で作られた。

設計たのは当時同志社大学教授で鳴き砂研究の第一人者だった故

三輪茂雄さん。下準備のため10日計を作り、4年間研究を重ねた。

ただ,琴ケ浜の砂は粒が大きすぎて、砂暦には山形県飯豊町遅谷

の鳴き砂が使われた。粒の大きさは0.125ミリ、数は推計6400

億粒。落ちる量を一定に保つためコンピューターで制御している。

時間は目には見えない。だが、砂時計は「未来と過去が砂の量で

わかり、過ぎた時間を振り返ったり、未来を感じたりできる」とミ

ュージアムの小川英二事務局長 ( 59 )。1年を計り終えた砂は、年

明けと共に再び時を紡ぎ始める。

大みそか。島根県?市の仁摩サンドミュージアムでは毎年、「時

の祭典」が開かれる。砂が落ちきった砂時計「砂暦に結ぶのは紅白の

ロープ。新年の年男、年女計108人が並び、午後11時55分から5分

かけて半回転させる。「3、2、1」。

カウントダウンに合わせて花火があがり、再び砂が時を紡ぎだす。

2014年に年女だった竹下ちとせさん( 63 )は当時、還暦の記念

に夫( 63 )と参加した。「ひとつの区切り。また新たな気持ちで生き

ようと思った」と振り返る。

竹下さんが夫の転勤で旧仁摩町に引っ越したのは、ミュージアム

開館の1991年。開館記念行事で埋められたタイムカプセルが2

011年に開封された時、同町に住む義母が子や孫の幸せを願って

書いた手紙が出てきて驚いた。竹下さんは「砂暦とともに歩んできた。
落ちた砂を見ると何かが積み
上げられていった気がする」と話す。

ミュージアムでボランティアをする大谷健一さん( 38 )は中学生だ

った91年、鳴き砂に含まれる小さな貝を調べる中で、砂?を設計し

た三輪茂雄さんに出会った。その後、ミュージアムの客員研究員の

もとで砂時計や鳴き砂について学んだ。砂?の点検に立ち会った

り、琴ヶ浜に泊まり込んで時間ごとの砂の鳴り方を調べたりした。

就職を機に一度足が遠のいたが、三輪さんらからの手紙や「好

きなことは続けることが大切」という誉葉に支えられ、再びミュー

ジアムへ通うようになった。メンテナンス作業に携わり、今年2月

からは砂暦の自動制御装置の管理も担当している。

精密な仕組みを見ると、一から砂?を作り上げた師を思い出し、

憧れるという大谷さん。「砂?は宝物。生きている限り面倒をみたい」

砂暦は03〜06年に少女漫画雑誌に連載された「砂時計」(芦原妃

名子作、小学館)にも登場する。

島根に移り住んだ少女と、3人の仲間の成長を描いた作品で砂時計

が物語の鍵を握る。テレビドラマや映画にもなった。

ドラマを見てファンになったという静岡県小山町の石井瞳さん

( 34 )は親子3世代で訪れた。

は結構ちょっとずつ落ちるんだな」と娘の紅葉さん( 14 )。父の藤

曲富徳さん( 70 )は「年々時が経つのが早くなる。一分一秒を大事に

生きないと」と話した。

一人ひとりが過去、現在、未来に思いをはせ、砂?を見上げる。
2107−9−2 朝日新聞

(寺尾佳恵、写真は上田幸一)


















































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