慈光院地図

 石畳の坂を上っていく。折れ 曲がった参道は一歩進むごとに山の中に分け入っていくよう

で、わずか数十mの距離だと感じさせない。「楼門」をくぐると、一気に視界が開けて明るく
ったような心持ちがした。

 伝承料理研究家の奥村彪生( 80 )が慈光院を訪ねるようになって、60年近くになる。

 慈光院は、徳川4代将軍·家綱の茶の湯の指南役を務めた片桐石州が、父の彰寺として寛

文3 (1663)年に建てた寺だ。のちに「石州流」と呼ばれ、将軍家をはじめ、大名らに伝わって
いった。

 「分相応の茶」を説いた石州の「わび」の神髄が、この寺に宿っている。茅葺きの書院は

「まるで農家のような風情でしょう。周りの田園風景と調和するようにと考えられています」

と尾関紹勲住職( 58 )。中には赤い毛氈(もうせん)が敷かれており、訪れた人にここで抹茶
を振る舞ってい
る。座ったときに気溡ちが落ち着くように、天井や鴨居が低くつくられているそ
うだ。

 奥村は近畿大学で電気工学を学ぶ学生だったとき、茶道部に入った。「女の子が多かった
からね」と笑う。茶道部で教わっていたのが石州流。慈光院での茶席の手伝いに、下宿してい
た東大阪から自転車で通った。

 「ここに来ると、おおらかな気持ちになりますね」と、書院の畳に静かに正座した奥村は、
に目をやりながら話した。掃
き清められた庭の向こうには、大和のなだらかな山並みが見え

ている。例えば、料理の道に進むために大学を3年生で辞めようかと悩んでいたあの時。この

寺を訪ね、こうして座り、庭を眺めた。さあっと心に風が吹き込むような心地がして、「よし、新
しい道を歩もう」と思えた。

 料理学校の講師だった27歳で結婚。妻を当時の住職、南山和尚(89)に紹介しようと訪ねた。

「会わせたら、『わーっ』て。妻は、和尚さんが中学で教えていたときの教え子だったんですわ」。
その後、奥村は料理番組
やワイドショーなどにも活躍の場を広げ、深い知識と駄洒落を交え
た軽妙な会話で人気を集め
ていった。それでも慈光院との付き合いは変わらなかった。

 寺で何か行事があると「先生料理して」と頼まれた。「有名な先生ですけれど、私にとっては
仲良うしてくれる、頼
れるおっちゃんです」と紹勲住職。日本文化を学ぶアメリカの大学生たち
が訪問したときはす
き焼きでもてなした。「寺の中に蚊帳をつって、中で食事をしたんですわ。
えらいことしは
る」と思い出す和尚に、「学生さんたちは喜んではりました」と奥村は涼しそうに
答えた。
=敬称略(山田佳奈)
  2018-4-12  朝日新聞(夕刊)