五条猫塚古墳
墳丘の斜面には石が葺かれ、墳頂部には埴輪が 並べられていた。2014年からは五條市教委が周囲 |
古墳の発掘調査のきっかけは様々だ。学術的な目的もあれば、ひょんなことで調査が 始まることもある。 五條市西河内町の五條猫塚古墳(県史跡)の場合は偶然だった。1957年、県立橿原考 後に「蒙古鉢形冑」と判明するこの発見をきっかけに翌年から 発掘調査が始ほった。 8月下旬、五條市教育委員会文化財課の前坂尚志さん(49)の案内で五條猫塚古墳に 向かった。 JR北宇智駅から徒歩20分ほど、田んぼの真ん中にある。すぐそばを京奈和 自動車道が走る。 築造は5世紀前半から中ごろとみられ、現状で一辺28 ~30mの正方形に近い形をして いる。高さは4~5mで、横から見るとピラミッドの上部を切ったような形をしている。墳頂部 一帯は4世紀末から5世紀にかけて円墳や方墳を中心に50基以上が造られた近内古墳 群が広がる。五條猫塚古墳から歩いて10分ほどの丘陵には、近内鑵子塚古墳(円墳)や つじの山古墳(方墳)がある。 前坂さんによると、五條猫塚古墳の被葬者は不明だが、渡来系にルーツがあると考え られている。蒙古鉢形冑は朝鮮半島の伽耶地域のかぶとと共通点があり、豊富な鍛冶具 の出土は、渡来系の技術者集団を統率した人物を想像させるからだ。 もっと詳しく知りたくなり、近くの市立五條文化博物館を訪れた。五條猫塚古墳の発掘 や鍛冶具、埴輪などが「里帰り」している。五條猫塚古墳が描かれた江戸時代の絵図も 展示されていた。 博物館を後にして、荒坂窯跡(県史跡)に向かった。北向きの丘陵斜面に築かれた半 香村)の創建時に営まれた可能性が高いという。前坂さんは「鍛冶具を扱っていた技術 者集団が、飛鳥時代に瓦職人となって暮らしていたかもしれませんね」と話した。 荒坂窯跡から田園風景を楽しみながらゆるやかな坂道を下ると、40分ほどでJR五条駅 |