於美阿志神社・檜隈寺跡宣化天皇檜隈廬入野宮跡 地図

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 檜隈寺跡は、神社の境内にあり、塔・講堂・回廊跡と推定される建物跡を残し、礎石が遺存する。
伽藍は西を正面とし、塔を中心に右に金堂、左に講堂があり、金堂・講堂は塔側を正面とする、
特異な配置となっている。出土瓦から七世紀前半〜八世紀初頭に建立されたとみられる。
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於美阿志神社
 塔跡にある十三重の石塔は、上層の一部を欠いている。(重文)凝灰岩製。現高約4.3m。
平安時代後期の作。もと檜隈寺塔跡の中心礎石の上にあったが、近年石塔を積み直し、
中心礎は移動し保存される。元々は十三重であったが、現在は十一重で、
上の二重と相輪は亡失。基礎は低く、初重軸部はほぼ方形に作り、四面に大きい月輪内に、
四方仏の種子を浅く平底彫している。四方仏は、奈良時代以来の顕教系のもので、東面の薬師を、
金剛界四仏の阿シュクとしている。

於美阿志神社社殿 
流造 ,旧社格 式内小社、村社
 境内には素戔嗚命を祭神とする八坂神社と稲荷神社が合祀されている。
 明治時代に現在の檜隈寺跡に移座したがもとは道を隔てた西方に位置していた。
 檜隈は、百済から渡来した阿智使主(あちのおみ)が居住したと伝えられる。
 檜隈は、飛鳥に隣接し、渡来人の里として重要な地であった。
なかでも東漢(やまとのあや=倭漢)氏たちが集住したところ。
応神天皇二十年に先祖の阿知使主(あちのおみ)とその子都賀使主(つかのおみ)が党類17県の民
をひきいてきた。
また、大和国高市郡檜前村が与えられた。
 於美阿志神社は、東漢氏(やまとのあや)の氏寺だった桧隈寺跡で、阿知使主を祭神とする。
 阿羅・阿耶からの渡来と考えられる東漢氏は7世紀蘇我氏の側近として活躍していた。
 乙巳の変(645))に際し、最後まで抵抗を試みたのがこの一族で、
蘇我入鹿らが討たれてやや勢力が衰える。
 天武天皇が677年に過去に犯罪をした七つの悪事を糾弾されるが、最終的には罪を許される。
その末裔には、東北征伐で名高い坂上田村麻呂がいる。
 境内に存在する石灯籠には春日大明神、稲荷大明神、金毘羅大権現などの銘が刻まれており、
多くの神々が祀られていたことが分かる。
 東(倭)漢氏は大和や飛鳥の玄関口というべき檜隈の地に本拠を置いた。
東漢氏は優れた言語能力をもっていた。韓語・中国語・倭国語を漢字・漢文で表記することができる
人がいた。
そうしたことから東漢氏や今来漢人(いまきのあやひと)らが居住した檜隈や飛鳥の地は、5世紀後
半〜7世紀代において、倭国で最先端の文化が花開いた。
 新しく渡来した人々をさして「いまきのあやと」「いまてきのてひと」という呼び名があった。
市郡、いまの橿原市、明日香村、高取町あたりは、かって今来群(いまき)と呼ばれた。
 於美阿志神社(おみあし)は使主阿知(おみあち)から転じたものといわれる。
 我が国初の本格的な寺院である飛鳥寺の造営は、朝鮮半島の百済の技術支援のもとに、
蘇我家に古くから仕えた東漢氏(やまとのあや)が、在来の渡来系技術集団を統率して進められた。
 新たに伝えられた寺院造営に関わる先進技術は、在来の技術とはまったく異質であるため、新技術を
つたえる場も必要となった。

 乙巳の変(645)での蘇我本家の滅亡後に、技術集団は天皇家の統制下に組み込まれた。
 代表的な渡来系氏族に、東漢氏(やまとのあや)、秦氏、西文氏(かわちのふみ)、船氏(ふな)
などがあった。
 東漢氏の祖とされる阿知使主(あちのおみ)、秦氏の祖とされる弓月君(ゆづきのきみ)、
西文氏の祖とされる王仁(わに)らは、応神朝に渡ってきた。
阿知使主は履中紀にも登場し蔵官に任じられた。船氏の祖は百済出身の王辰爾(おうしんじ)
は敏達朝の6世紀中ごろ渡来した。
 阿知使主の子都加使主(つかのおみ)のあと多数の氏族に分かれ、奈良時代後半には61氏を数えた。
この中で最も栄えたのが坂上氏(さかのうえ)平安時代には、最初の征夷大将軍田村麻呂を排出する。
講堂 塔 金堂 中門 於美阿志神社 回廊
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  第28代 宣化天皇檜隈廬入野宮跡(ひのくまいおりのみや)の碑、境内に設置。


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