巨勢山口神社地図
阿吽寺地図
正福寺地図



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巨勢山口神社
 
   
   

 巨勢山中腹、標高 200mに位置する神社。 祭神は、 はじめ

大山祇命であったと思われますが、 現在は伊弉諾の命伊邪那美の命
が祭られています。 同社は、 「延喜式」 神明帳及び 『三代実録』に記
載された由緒ある神社です。 清和天皇貞観元年に正五位下に昇叙し
ています。 創建年代は不明ですが、 棟札は寛永5年(1638) のものが
残されています。

   
   
     
   




阿吽寺
   
  聖徳太子建立といわれる巨勢寺の子院のひとつであり、 「つら

つら椿」の名所です。 万葉集に 「巨勢山の つらつら椿 つらつらに見つつ偲はな 巨勢の春野を」
と詠まれています。

 平安時代の洪水で村人が避難に窮したとき、 阿吽法師が来て村人を救済したので、その名前
に因んで阿吽寺とよばれるようになったと言われています。 

   
 
春永大明神
金比羅大権現 
   

巨勢 春 野


春 野春風 春日晴

蹈青時到好吟行

将雛牝雉避人伏

求友孤鶯対影鳴

葛城三十八景漢詩のひとつである。

元禄五 (一六九二) 年『葛城名区考』より


巨勢春野 (きょせいしゅんや)
春の野原に春風が吹き、春の日差しが満ちて、空はよく晴れている。

青草を踏んで歩きながら、ときどき詩歌を詠むのが好きだ。

今にも、雛と牝雉が、人を避けて伏せようとする。

一羽の驚が友を求めて、その影に向かって鳴いている。

 巨勢は御所市古瀬を中心とした一帯で大和から紀伊や吉野へ

の通路にあたる地である。この地にある巨勢寺跡は、古代豪族

巨勢氏の氏寺であったと考えられるが、 今は塔心礎と基壇跡を

残すのみである。巨勢山は、巨勢の峡谷の東西の山地をいう。

そこに広がる巨勢の春野の光景は、古くから知られており、
『万葉集』にも歌われている。

  
 巨勢山の つらつら椿つらつらに 見つつ偲ばな 巨勢の春野を

          『万葉集』巻第一の五十四

 この一首は、大宝元年(七○一年)辛丑の秋九月持統上皇が

紀伊国に行幸する時に、供の坂門人足が作った歌である。「今は

秋で椿の咲く節ではないが有名な巨勢のつらつら椿が咲く春

野の景色を偲ぼう。」と歌っている。

 漢詩は、この万葉集の歌を脳裏に浮かべながら、晴れた春欄

漫の巨勢野の光景を詠まれたと思われる。

   

 このあたり一帯は、万葉に歌われた 巨勢山てある。

 平安時代に巨勢川が 氾濫して、里民が避難に窮したとき、阿呼法師なるものか来

て、これを救済したのて 人民は、 法師を崇めて玉梅精会に請住せしめたという。

 王棒精合とは、巨勢寺のことでこれから阿叫寺の名が起り、巨勢寺の一子院となっ
たものと考えられる。

 貞治元年 火災て全焼し、以来荒廃して二六〇年、江戸時代初期に再建されている。
その後も衰退を重ね、無住となる。明治一三年有志図って仮堂を建て正福寺にあづ
けられていた仏像を迎えて、さらに 昭和六十年四月に再建されたのが 現在の阿吽寺
てある。

 一九九四年(平成六年)五月

 




正福寺
   
 
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