沼島
神宮寺境内に設置してある司馬遼太郎の「菜の花の沖」の一文。 |
神宮寺 地図
真言宗の寺院であり、元慶4年(880)の開基といわれている。 梶原氏の菩提寺でもあった。 鎌倉時代五輪塔二基(重文)、尊勝法華曼荼羅(重文)があり、 県下で最古といわれる室町時代の庭園がある。 |
庭園 | 珍しい鬼瓦 |
沼島 |
沼島港 地図
船着き場 | 沼島ターミナルセンター | センター内に展示されている鞘形褶曲の岩 |
下立神岩 地図
現在の下立神岩 | 以前の下立神岩 | |||
昔は上立神岩よりも高かった。 安政元年(1854)の大地震と津波によって真ん中から折れ、それらの岩が重なった。 これも昭和9年の室戸台風の直撃を受け、現在では巨大な根っこのみ姿をみせている。
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平バエ 地図
平バエをはさんで、上手に上立神岩、下手に 下立神岩がある。 男女を象徴する。その中間に位置する平バエは 二神の契りの場ともいわれる。
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上立神岩 地図
国生み伝説の舞台といわれる奇岩をみることができ、 その象徴が上立神岩で高さ30mの岩が直立して 佇んでいる。
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穴口 地図
沼島の裏礒は、断崖絶壁や岩礁が島を取りまき、 奇岩奇石が各所にある。 その中でも、高さ80mの屏風岩。別名金華岩または 仏堂と呼ばれている。 断崖の下にある洞穴で、穴口と呼ばれている。 深さ50m余りあり、国生み伝説では黄泉の国の入口と いわれていいる。 |
鞘方曲 地図
鞘方曲の岩石 | 沼島ターミナルセンターに展示されている鞘方曲。 以前民家の庭石として使用されていた。 |
1億年前の地球のシワが残る珍しい岩石。平成6年に発見され、引き潮の時にしか姿を現さない。 同心円構造の鞘型褶曲はこの岩石以外ではフランスで1ヶ所発見されているだけで、昔の地殻内部 の動きがわかる世界的な貴重な資料といわれている。 |
伊邪那岐神・伊邪那美神 | ||
伊邪那岐神・伊邪那美神の二神が、天の浮橋から天の沼矛を指しおろして青海原を 「こおろこおろ」とかき混ぜ、矛先からしたたり落ちた潮が積って島となり、立神岩に降 りたったと言われている。二神の石像が、天の沼矛を手に、島を見守っている。 |
梶原五輪塔 地図
五輪塔(右側)は、永禄から天正に初期にかけて島主として沼島水軍を支配していた 梶原一族の祖、梶原景時の墓と言われている。 景時は、源平の石橋山の合戦で平氏方として源頼朝の軍を破ったが、洞窟に潜んでいた頼朝 を故意に見逃し、後に源氏が復活した際に頼朝方につき、頼朝が死ぬまで側近として勢力を 振るった。 正治元年(1199)正月、頼朝が急逝。鎌倉の有力御家人たちが景時を弾劾。梶原一族は、 鎌倉を脱出して、京都へ上がる途中・静岡市付近で在地武士たちの襲撃を受け、景時はじめ 一族の多くが討死した。この時、落ち延びることができた一族の手によって、景時の遺骸は、 かねてより関係のあった沼島水軍の本拠地・沼島に送られ、手厚く葬られたと伝えられている。 |
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松香石という特殊な石でつくられている。古くから鎌倉時代の武将梶原景時の墓と伝えられている。 |
沼島八幡宮 地図
沼島八幡宮は、永享8年(1436)、沼島城主・梶原景俊が京都石清水八幡宮の分霊 を奉じて創建したと伝えられる。本殿に飾られているたくさんの豪華な絵馬には、沼島の 様々な歴史秘話が眠っている。 御影石の石段が、神門から上が33段の女坂、下が42段の男坂と呼ばれている。 海上安全、四季豊漁の神様である。 この森は、氏子により神社の創建はるか以前より、守り続けられてきた神域で大切 にされている。 神社の森には、幕末のオランダ人シーボルトが学会で紹介したユズリハモドキが生 い茂り、県の環境安全地域に指定されている。 |
沼島が最もにぎわうのが、5月に開催される沼島八幡宮のだんじり祭り。沼島出身者が集い、観光客も一緒に島が大ブレイクする。 大阪の岸和田祭りを連想させる勇壮な祭りで、引きだんじりは、水しぶきを上げ、海へ突っ込んでいく。 (土生港にある灘ターミナルセンター資料より) |
木村屋旅館 地図
海水浴場・キャンプ場 地図
古水の浜 |
kuzira
くじら 地図
手前の岩、上まで波がかからない。 |
111 地図
222 地図
333 地図
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