天燈山紫雲閣順明寺
浄土真宗本願寺派 |
門・本堂・玄関客殿・庫裏・鐘楼・墓地がある。今井北御堂と呼ばれている。門や客殿は江戸時代初期を降らぬものであろう。 本堂は入母屋造本瓦葺で縁をめぐらす。江戸初期の建立で、後世かなり補修を経ている。 本尊は阿弥陀如来立像、木造漆箔玉眼入りで像高74.2cmある。室町時代前期十四世紀の作であろう。 五劫思惟阿弥陀坐像、親鸞聖人木造がある。御影像は見真大師(寛政三年下付)、彗灯大師(弘化三年)、准如上人(寛永十五年)、 文如上人(文政十一年)本如上人(弘化三年)の画像を祀る。 順明寺は昭意房源海印順明和尚の創立と伝え、もと十市郡新賀庄屋にあったものを寛永三年(1626)に現地に移した。 旧寺地には順明寺の小字名を残している。開基順明は俗姓を多田源八郎仲貞といい、若くして親鸞聖人に帰依し、 昭意房源海の法名を賜ったという。寺は江戸時代の中頃から一時衰退したが、第十四世隆元は延宝八年伊賀国から入寺し堂宇を復興した。 明治二十四年十一月八日、英照皇太后が畝傍御陵等に行啓のみぎり、この寺に御滞泊になった。当時の御座所は今日なお伝えられている。 |