船形地図

船形(西賀茂船山)午後8時15分点火

 当日朝早くから、山の麓の3ヵ町一55軒の旧家より

年寄・中老・若中ら約50人が西方寺に集り、割木など

が山上へはこばれ点火準備が行われる。やがて西方寺

の鐘を合図に点火され、山麓で西方寺住職の読経が行

われる。送り火終了後西方寺に於て六斎念仏が行われ

る。なお5日又は第1日曜日より16日午前9時まで毎

西方寺で護摩木の受付が行われる。

火床79,横約200m,帆柱の高さ約90m。

送り火「い」 「船形」送り火

船形万燈籠送り火

点火の起源

 第一の説は、西方寺開祖の慈覚大師円仁が、承和14年(847) に唐での修行を終え日本

へ帰る途中、船が暴風雨に会い 「あわや難破」と言う時、『南無阿弥陀仏』の名号を

船板に書き、海中に投げ入れ「四海泰平」を祈念されたら、波風が平穏になり無事帰国

されたと言われ、その後、 船形光背を持つ阿弥陀如来像を本尊とされ、その船を形どっ

て船形万燈籠送り火を寺の後ろの山に点じて、五穀豊鱗·四海泰平を念じられたのが始

まり、と伝えられています。

 第二の説には、延喜10年(910)前後に疫病が流行り、死者が数万人に至り、その新盆

に供養として行われた、とも言われ、東山大文字の「大」に対して、船を「乗」と見倣

して『大乗仏教』を表象しているのだ、とも言われています。

 第三の説は、現在も各地に風習として残る精霊船で、 藁で作った舟に位牌やお供物を

乗せて海や川に流したり、舟に灯籠を付け名号等を書き蝋燭を灯して流す「灯籠流し」

の舟だ、とも言われていますが、 創始の時期は康和2年(1100·平安後期)頃以前に遡る

事は無いと言われています。

保存会

 船形万燈龍保存会 京都市北区西賀茂鎮守庵町 西方寺

 会長

 会員数 55戸

山の位置

 京都市北区西賀茂船山 船山 (鐘打山·万燈籠山)

 京の北々西、上賀茂神社より賀茂川を越えた西方の西賀茂にあり、京都ゴルフクラプ

西コースのクラブハウスの手前右側に、コースを横切って登る道があります。

 標高317メートルの山です。

   
 
 点火材:松割り木 400束・松葉130束