高桐院(大徳寺塔頭)地図

 庭は、石も築山もいけもない。
 石灯籠の一基があり、苔が地面覆う。
 季節によっては、カエデは目立たないが、紅葉の頃ともなると見事な赤に染まる。
 小ぢんまりした門から唐門へとつづく
石畳の道が、魅力のひとつ。
この参道を「仏の道」とよばれる。
茶室松向軒(しょうこうけん) 書院
 秀吉の天正15年(1587)北野大茶会のときに、
影向(えごう)の松の下にもうけられた茶室といわれる。
 忠興のの墓石はもともと利休がもっていた灯篭であるといわれ、
忠興と利休の関係の濃厚なところを物語る。
 忠興の墓石は頭部が欠けているが、秀吉から取り上げられるのを防ぐために、
わざと壊したものだという。
利休切腹の一因になったともいわれている。
 細川家の菩提所として、忠興、ガラシャ夫妻はじめ歴代の墓を守っている。

 当院は江戸時代初期の武将で、茶人としても有名で千利休の高弟七人を指す「利休七哲」の一人、細川忠興(三斎)が、父・幽斎の弟・玉甫紹綜を開祖として慶長6年(1601)建立した臨済宗大徳寺の塔頭で、細川氏の菩提所である。
 三斎は茶人としては利休七哲の一人といわれる名手で、当院の書院は利休の邸宅を移築したものといわれる。書院に続く茶室松向軒は三斎好みの二帖台目で、三帖の水屋がつき、壁や天井にも趣向が凝らされていて有名である。境内にある三斎の墓標の石灯籠も利休が三斎に贈ったものと伝えられている。書院の庭は江戸初期の作庭、本堂の前庭は楓の樹を巧みに配しているのが特色である。
 寺宝では中国南宋時代の画家李唐の山水画二幅が特に有名で、現存する墨絵山水画の圧巻と賞賛されている。
 境内には三斎とその夫人ガラシャの墓、近世初期の歌舞伎踊りの名手、名古屋三郎、出雲阿国の墓がある。