西陣
応仁の乱のときの西軍の陣地の一帯を西陣とよび、帯や着尺、和装小物の生産地である。 東軍の中心は細川勝元である。勝元の屋敷は室町通と御霊前通の交差の東の一郭にあった。 西軍の大将は山名宗全で、堀川通の上立売の一筋南の西北に「山名宗全邸址」の案内板がある。 応仁の乱は、どっちが勝ったのか、それさえはっきりしないうちに、うやむやのうちに終わった。 西陣⇒⇒⇒ |
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暗い工房で目覚めるような織物が造られ、勤勉な織匠がいる。 うなぎの寝床の町屋織り工房。 民家と思われる玄関の奥に工房がある。 西陣織の工場といえるものはみあたらない。 西陣織は一工程の担当業であり、材料があっちこっちに運ばれるたびに部分的な加工がかさなり、 いつのまにか製品になっていき、町全体が工場といえる。 |
く | 西陣には、むしこ窓もある古い家が残っている | |
西川太兵衛により宝暦14年(1751)10月27日創業。写真は明治初期に写したもので、 現在もこのままの家屋で、当時の西川太兵衛商店の建物は変わっていない。 |
西陣空襲被爆地 地図
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