第106代 正親町天皇(おおぎまち)地図


後奈良天皇(第二皇子)
藤原栄子(万里小路賢房の娘)
誕生 …1517年(永正14年)5.29
御名・異称 方仁(ミチヒト)
典侍 万里小路房子
立太子 … ―――
即位 …1557年(弘治3年)10.27
在位年数…29年
崩御 …1593年(文禄2年)1.5 (年齢77才)
皇居 平安宮
年号 弘治、永禄、元亀、天正
治世が開始された頃は依然戦国時代であり、皇室財政の窮乏も深刻であった。毛利元就らの献金によってかろうじて即位礼を執り行うことが出来た。
信長、秀吉は天下人となった後も、統治に天皇の権威を利用する方針をとったため、天皇の権威は高まり、皇居の修理や朝廷儀式の復活が鋭意進められた。信長・秀吉と天皇の相互依存関係が成立したと見られる。信長はとりわけ天皇との関係維持に腐心して、様々な催しを通じて天皇に崇拝の念を示した。信長は信秀の勅皇精神を受け継いで、宮廷復興策を実施している。又、伊勢神宮の造営・遷宮を行い、秀吉が完成しているが、内宮は124年、外宮は23年ぶりの遷宮であった。
天皇の人柄については大変慈悲深かったことが伝えられており、厄年には直筆で般若心経を書写し、寺に納めて万民の安寧を祈願した。
織豊政権との協力により朝廷の威信回復に成功した。
陵墓名 深草北陵   法華堂   後深草天皇以下十三方合葬
所在地 京都市伏見区深草坊町
火葬され、深草法華堂に奉骨された。12帝陵の一つである。
天皇の御灰塚は25陵5灰塚9墓の一つである。盛土はなく方形に区画され、榊が植栽されている。後柏原天皇御灰塚等と同域である。