第110代 後光明天皇(ごこうみょう)地図
泉涌寺⇒⇒⇒ |
父 … 後水尾天皇(第三皇子) 母 … 壬生院藤原光子(園基任の娘) 誕生 …1633年(寛永10年)3.12 御名・異称 … 紹仁(ツグヒト)・素鵞宮 大典侍 … 庭田季子 立太子 … ――― 即位 …1643年(寛永20年)10.3 在位年数 …11年 崩御 …1654年(承応3年)9.20(年齢22才) 皇居 … 平安宮 年号…寛永、正保、慶安、承応 ○「承応遺事」や「鳩巣小説」などでは、英邁で闊達な側面を持ち合わせた人柄が想像され、性格も激しく、幕府の役人にも強く抵抗したといわれている。 ○ 学問好きで知られ、儒学に傾倒し、儒者藤原惺窩の強い影響を受け、民間の朱子学をも積極的に取り入れた。 ○ 天皇の治世中には、神宮例幣の儀を再興する動きがみられたほか、大学寮の復興が企図された。 陵墓名 … 月輪陵 九重塔 所在地 … 京都市東山区今熊野泉山町泉涌寺内 ○ 1654年(承応3年)9月20日、天然痘を患い、下御所の仮皇居で崩御、25日夜入棺、10月15日後光明院と追号された。 ○ 火葬に見立てて、石柩に納め奉られた。これまで火葬が主流であった歴代天皇が、この後光明天皇の大葬から土葬に改められた。 ○ 御陵は、25陵・5灰塚・9墓の一つで、この兆域西北隅に御陵があり、高さ5.15mの九重石塔で、基壇は方6.12mの規模である。西面して石柵をめぐらし、中央に石門を設けて、石扉を付している。 |
唐門 泉涌寺唐門の奥に霊明殿があり、その奥が月輪陵となる |